背水の陣
有名な故事成語に「背水の陣(はいすのじん)」というものがあります。
背水の陣は「絶体絶命の状況でもう後がない」という決意で立ち向かうことを言います。
「淮陰侯(わいいんこう)」と呼ばれていた韓信が漢と趙との戦いで取った戦法の名前がこの「背水の陣」と言われ、『史記』の「 淮陰侯伝」に書かれているのが由来です。
韓信は前漢が中国において天下を取った際に漢の劉邦の軍師として活躍して、楚の項羽を破り前漢の中国統一に軍事面で最も貢献した英雄です。
天才軍師である韓信は、他に類を見ない卓越した発想による軍略を用いて、百戦百勝に近い圧倒的な勝利を重ねていきます。
劉邦は戦いにはきわめて弱く「戦えば負け」を繰り返していたのですが(人望が厚いためそれでも致命的な状況にはならなかったのですが…)
そんな劉邦も、韓信の助力によって急速に劣勢を挽回することになります。
その韓信の有名な戦略、それが「背水の陣」です。
「負けるに決まっている」という思い込み
古来戦法の基本中の基本として
「川を背にして陣を張ることはしてはならない」というものがありました。
なぜなら、追い込まれたときに兵士が川の方向に追われることになるので、溺死したりしてしまう危険が大きいからです。
要は逃げ場がないと考えられてきたと言えます。
だから「背水の陣」に絶体絶命のピンチという意味が含まれるのも頷けます。
そして軍師と言われる人はもちろん兵士を含めほとんどの人が
「背水」に陣を張ることは決してやってはいけないという常識をもっていたのです。
しかし、韓信はおそらくもう一度この常識を
ゼロベースで考え直してみたのではないかと思います。
誰もが危険だと言っていた陣立てですが
「もしそうなったら実際に兵士たちは、最初から本当にただ川に飛び込むだけだろうか?」
そんな風に考えたに違いありません。
「人間は追い込まれるともっと頑張る力を持っているのではないか」
そんなことも思ったのでしょう。
何より、あらゆる人が「背水」への陣を愚かなことと確信している状況が、逆に敵を油断させることができる状況でもあることに気づいたのだと思います。
そして彼はあえて「背水の陣」を張り、兵士にそのことを告げるのです。
当然兵士には動揺が走りますが、当時の韓信の軍律は極めて厳しく反論などできるものではありませんでした。
劉邦にかわいがられている有力者を、主人劉邦が止めるのも聞かず軍律違反で容赦なく処刑したのは有名な話です。そんな韓信に逆らえるわけはありません。
結果として兵士は皆死を覚悟します。
決死の覚悟で戦う状態にある兵を「死兵」と呼ぶことがありますが、彼はこの戦略によって、敵と戦う前に兵を「死兵」にしてしまったと言えます。
強いに決まっていますね。
事実この戦いに漢は圧勝して、兵士たちは実際には川に溺れることなどなかったのです。
まさに「背水の陣」による決死の覚悟が道を開いたということです。
「背水の陣」はこのような故事から生まれた故事成語なのです。
常識を見直すこと
私たちの周りにある常識と言われる事柄には
さまざまなものがあります。
ただどんな常識も、ほとんどのものが最初は誰かが発案したり考えたりしたことによるものだと言えます。
ただ、それを支持する人の数の多さや
支持され続けた期間の長さが
それを「疑いのない真実」と思いこませてしまっているのです。
私たちにとっての常識というものも
自分に必要が出てくれば、一度見直してみるのもいいかも知れません。
本当にそれが「疑いのない真実」なのか
別の角度から考えればそうではないこともあるのではないか
ということが分かることも、意外にあるのかも知れません。
韓信の「背水の陣」はそんなことも考えさせてくれるお話です。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。