J(ジュール)という単位
Jと言う単位は,イギリスの物理学者ジェームズ・プレスコット・ジュールの名前に由来します。
それはまあ、呼び名なのでわかるのですが、中学高校と理科を勉強しているとこのジュールと言うもの、やけに頻繁に違うところで登場するのです。
それで「おやっ?」ってなる人も、けっこう多いのではないでしょうか。
今回は、このジュールというものが一体何なのかについて考えてみたいと思います。
仕事 J=N×m
まず物理では、Jは仕事の単位として登場します。
ニュートン(N)×メートル(m)で仕事(J)の計算をします。
分かりやすく言うと、1Nの物体を1m動かしたときの仕事が1Jです。
「仕事」と言うのは、物体に対する力(Nで表される)と物体の変位(動いた距離、mで表される)の積で表される、エネルギーを定義する(エネルギーの量を示すための)物理量です。
中学の理科で登場しますが、子どもにはやはりどうしても「働くこと」を表す仕事のイメージがあるので、最初はちょっと戸惑う概念です。
電力量J=W×s
次に電気についての学習では、Jは電力量の単位として登場します。
電力量(J)=電力(W)×時間(秒、つまりs)という公式です。
「電力(ワット)」は、単位時間に電流がする仕事のこととされますが、「電力量」はこれに時間をかけたものなので、結局電気の世界(電気エネルギー)における仕事が「電力量」ということになります。
とは言え、これでは言葉遊びに過ぎません。実際にはどういう関係があるのでしょうか?
「仕事」というものが、例えば物質を一定の距離動かすエネルギーの表れであるとすれば、それは私たちが日常でイメージしている、何かを動かすパワーとそれが行った結果のようなものだと言えます。
そして「電力量」も、同様なイメージでとらえることができます。
つまり電力と言うものが、一定時間貯められていることで電気エネルギーで何かを動かしたり(運動エネルギーへの変換)するようなことができること(あるいは、できるのと同じであること)を、この式は表しています。
エネルギーと言うものは、自然界ではいろいろな形に姿を変えていきます。
位置エネルギーが運動エネルギーになり、熱エネルギーや光エネルギーになったりします。
特に電気エネルギーが熱エネルギー・光エネルギー・運動エネルギーに形を変えることは、電気でお湯を沸かしたり、電灯をつけたり、モーターでものを動かしたりすることなどで、日常生活でもよく見かけることだと言えます。
エネルギーの形が可変であるから、そのエネルギーを測るための指標である単位となるJも同じ数値になるように、物理における単位が共通になっているのです。
何と!熱量もJ
そして熱量を表す単位においても、何とJが使われています。
熱量(J)=電力(W)×時間(秒、つまりs)で表されます。
これは先ほどの電力量と、求めるための公式まで同じになっています。
要するに「電力量」で表されているものは、実質的に「熱量」と全く同じものだと言う事です。
考えてみれば、「電力量」の実質が、電力を一定時間貯められたりして得られる、仕事をなしうるための電気エネルギーだとすれば、これが特定の抵抗(例えば電熱線)を通過するときには、そのことによって熱が出るわけだから、それは「熱量」という熱エネルギーに変換されることもあるはずです。
そうすれば両者は、同じものを違う角度から言っているだけということになりますね。
この二つのJの共通性は、そういうことを示しているのです。
「電力量」は電気エネルギーで、「熱量」は熱エネルギーの形をとった場合のことを言っているのに過ぎないという事です。
概念を体系的な視野でとらえると学習が面白くなる
このように「仕事」「電力量」「熱量」でともにJが使われる背景には、エネルギーと言うものが、位置エネルギーや運動エネルギーのような形(「仕事」の場合)、電気エネルギーの形(「電力量」)、熱エネルギーの形(「熱量」)のように、自然界では形を変えて様々な形として存在するものであるということがあります。
だから言われてみれば至極当然のことを言っているのに過ぎません。
しかしこういう事を、学習者が自分から実質的に考える機会と言うものはなかなかありません。
というのは中学高校での教科書というのは、言い方はあまり良くありませんが基本的に「セクショナリズム」なものだからです。
この点体系的な考え方の下にまとめられている「体系書」、文系な言い方をすると「基本書」などは、大きな見地から順に下へ降りていく構造で説明があるので、スムーズに仕組みがわかるようになっています。
でも「教科書」でそんな体系的なところからの学問を教えようとすれば、時間的にとても足りませんし、初学者には難しくなってしまうこともあると思います。
両者は作られる目的が異なっているからです。
だから「セクショナリズム」的なものであること自体が問題ではありませんが、
教科書学習では、どうしても直接そこに書いてある部分ばかりを見てしまって、学習者が近視眼的なとらえ方をしてしまいがちです。
そうすると、私がいつも批判する指導者の決まり文句である「とりあえずここは暗記しておけ」になってしまう可能性があります。
でも、それでは覚える言葉ばかり増えてしまいますし、勉強も面白くなくなります。
だからたとえば今回のようにJがいくつも登場してきたら、「なぜだろう」と思って(必ず不思議に思うはずです。そして幸い(?)なことに、相互の関係を詳しく書いてくれてはいません)自分の頭で考えたり調べてみたりするのです。
それは手間がかかる行為なのですが、必ずそういう時間が、あなたに学習するための力をつけてくれることでしょう。
そしてそれこそが、意外にも本当の学習なのではないかと私は思っています。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。