受験の作文
受験シーズンに突入していますが、受験で作文を書かなくてはならない場面と言うのは、さまざまな受験で共通の事としてあります。
ごく短く要旨をまとめる要約作文もあれば、800字程度の分量を書かなくてはいけない場合もあります。
小論文はまた少し意味合いが違ってきますが、「文章を書く」というくくりで考えると
これについても「読み手に伝える」という力が、大きなポイントになってくることは間違いありません。
ではこういった文章表現で、注意しないといけない点はどこにあるのでしょうか。
内容を伝える力とは
文章表現では、ただ意味が伝わればいいというものでないことは、誰もが考える事だと思いますが
実際の生徒の作文を見ると
「推敲」まできちんと出来ているものは全体の中で、実際には1割もないように思います。
その多くは
考えもなしに書き出して、途中で右に行ったり左に行ったりして
最後に一度書いたことをまた繰り返して書いたりして
まさに「思いつき作文」というようなものに思われます。
だから学校では
読書感想文コンクールとか、生活作文コンクール、あるいは推薦入試の原稿など
およそ作文と呼ばれるものは
現実には、正式提出やその完成前に、学校の先生の修正が大きく加えられているのがほとんどです。
私は、作文を書くことが小学校以来非常に得意でしたので
こういったコンクール系で選ばれる機会がかなりありましたが
とにかく学校の先生の添削修正を、いつも半端なく受けてきました。
「これは、僕の作文とは言えなくなっているな」と子ども心に思ったりもしたものです。
まあ、それくらいに生徒の書いた生の作文は、完成度が低く見えてしまうものなのだと思います。
だから起承転結をしっかり考えて
書く前にある程度、いや、ほんの少し推敲をして書けば
それだけで頭一つ抜けた作文になると思います。
題材を選び考える力についてはともかく、「内容を伝える力」というのは
単純に、こういったちょっとしたことで、身に着ける事ができます。
読み手の「読み」を止めない力
もう一つポイントになるのは、読み手の「読み」を止めない力です。
簡単に言うと、途中で「おやっ」と思わせない力と言って良いでしょう。
読んでいて「何か表現が変だぞ」と思われると
読み手はそこで「読み」を止めてしまいますが
そうすると作文の評価が下がることは必至です。
反対に、すらすらとストレスなく読ませることができれば、作文は成功と言っても良いかも知れません。
応答と「てにをは」
一番「あれっ」と思うのは
文頭と文末の応答が正しくない文章です。
たとえば
「この文章を通じて作者が言いたいことは、我が国の文化が和を元に作られてきたものであり、その事が現代人の習慣を左右しているのだ」
こんな感じです。
正しくは「左右しているということである」というように結ばないと文頭とつながらない表現になってしまいます。
中3の受験生でも
こういう対応しない文章を書く生徒が、全体の半分くらいいるイメージです。
だからもしこの点を十分に注意すれば、それだけで平均以上に作文が上手いということになるのです。
また、「てにをは」=助詞の使い方でも
「あれっ」と思わせてしまう、まずい使い方をする生徒がかなりいます。
「僕がねこが好きだ。彼女が犬も好きだ」
というような微妙に変なトーンの文を書いてしまう生徒も多いです。
正しくは
「僕はねこが好きだ。彼女は(ねこだけでなく)犬も好きだ」というような表現になりますね。
こういう「てにをは」の使い方は
小学生中学生くらいだと、わりとアバウトにやってしまい
国語の採点でも多めに見られることも多いのですが
作文で評価される時には
文章の流れを、こういう微妙な表現が止めてしまいますので
目立ってしまいます。
でも逆に言うと、これもちょっとしたことで他と差をつけることができるポイントということになります。
読み手の存在
文章を書く時に注意することは、このようにいろいろありますが
どうすれば作文が上達するかと言えば
やはり
「読み手を意識して書く」ということになるでしょうか。
読み手の「読み」をストップさせないということも
この考え方の延長線上にあります。
小中学生の作文に多いのは
「作文を読む人などは存在しない」という意識で書いていると思われる作文です。
そういう作文を書いている人は
ほんのちょっと考え方を変えるだけで、劇的に文章が上手くなる可能性があります。
一度考えて見るといいかもしれません。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。