6万回の思考と35000回の決断
巷では人間と言うものは一日に6万回の思考をして35000回の決断をしていると言われます。
この数字の根拠については研究結果もあるようです。
これがどういうことかというと、
例えば私たちは朝ベッドで目覚めると
「ああ、体をこう動かして起き上がろう」
「まず服を着るか」「そうしよう」
「引き出しを開けて」
というように行動を決めていきます。
もちろん半ば無意識のことも多いと思いますが
とにかく次々に動きを決めて、やることを決めて行動をしていっています。
その回数が「どうしようか」などを考えるのが6万回
「こうしよう」と決断するのが35000回だということです。
*25000回は決断を保留あるいはしないということでしょうかね。
当たり前なので意識したり考えたりすることがないだけです。
そう言われれば6万回思考して35000回決断するというのも、あながち大げさではない数字だと思われます。
決断の繰り返しで道が変わる
もしこの世界がパラレルワールドのように、何かの物事の違いによって次々に未来が分岐する分だけ枝分かれになり生じていく並行世界のようなものだとすると
あなたの1つの決断ごと、生きていく世界が変わっていく(見た目には未来が変わるだけですが…)ことになります。
たとえば、今あなたが「今日から30分早く大学へ行こう」と決めたとしたら
それを決めなかった未来と世界が分かれます。
そして30分早く大学へ行ったために、その途中で運命の恋をする相手に出会って
それが発展してその相手と結婚。
子どもがたくさん生まれて、孫ができひ孫ができて…
あなたが今した決断がない世界にはそうして生まれて繁栄した一族はいないことになりますが、決断をしたこの世界にはたくさんの人たちが現に存在することになります。
未来と可能性
たった1つの決断でこれくらいの大きな違いがあるのです。
それが35000回あれば、あなたの人生の可能性は35000通りどころではないことになりますね。
単純に考えても
二つの選択肢から一つを選択する場合の数が2通りだとすれば
それを2回繰り返せば22
35000回なら235000
そしてそれが365日なら(235000)365
人の平均余命が80年だとして (235000)365の80乗の場合の数ということになり
簡単に言えばほぼ無限ということになるかと思います。
つまり人生も未来もすべて「決断」で決まっていくといってもいいでしょう。
そしてその選択の候補も無限だということになりますから
今この現在から考えても可能性は無限だということです。
たとえば79歳の老人が、「世界を驚かせる偉大な研究結果を残す」という未来を達成しようと一年奮起したとして
実際の可能性の数値は低いとしてもゼロではありません。
これをゴールとして逆に選択肢をさかのぼって考えていきます。
この未来のために「世界的に有名な研究室に入る」←「入室試験に合格する」←「世界が注目する研究を独自に進めて論文を書く」←「論文を学会に出せる立場になる」←「博士号を取得する」←「修士号を取得する」←「大学院へ入る」←「大学へ再入学する」←「勉強を始める」
というような選択肢を1つずつ進めていけばいいのです。
当然途中に常識的に言って難しい過程が出てきますが
そこで「やる」のか「やめる」のかは自分次第です。
誰かが決定するのではなく、その79歳の老人が決めるのです。
「世界は自分が創っている」というのは実はこういう事ではないかと私は思います。
逆に言えば決断をネガティブな方向へ進めていけばそういう方向への未来が切り開かれてしまうでしょう。
「何だかやる気が出ない」→「とりあえず今日は授業中窓の外を見る」→「つまらないから寝る」→「授業態度を注意される」→「先生との関係が悪くなる」→「授業が嫌になる」→「またやる気がなくなる」…
悪循環は簡単に創り出せてしまうのです。
その意味では人間の思考と決断と言うのは、実はとても面白いものであり
「今あなたが見ている世界はあなたが創ったもの」と言う言葉も、
こういう事を考えると一面真実を示しているような気がしますね。
できないと思わせている勢力に気づく
しかし、なかなか自分の選択肢の無限性に人が気づけることは意外に少ないのかも知れません。
たとえば「さあ、今日から生まれ変わるように勉強をしっかりやるぞ」とあなたが決意したとします
そこへ誰かが「勉強なんてかったるいよな~」とつぶやきます
「授業後遊びに行こうぜ」と誘われます。
「あいつら何でいつも最前列であんなにカリカリやってるのかな」と言う友人もいます。
「就職活動やったって今のこの不景気じゃあな。勉強したって無駄だぜ。上手く世渡りしないと」そう言ってくる友人もいたりします。
テレビを見ると、同世代の若者がバイトに精を出して、バイト先では色んな人生ドラマが繰り広げられています。
恋をするのが当たり前のように描かれている一方で、イケメンでない大学生はいつも振られ役の上に風采も上がらなく描かれていたりします。
バラエティー番組を見れば、お笑い芸人のように気の利いたギャグが言えることが世の中の成功に必要かのようなイメージを抱かされます。
普通の人はそこには登場してきません。メディアの中では、世の中はイケイケの人が楽勝できるというような世界が其処彼処に描かれています。
そんな中で、自分だけが地味な勉強と言う作業を、遠く未来に結果が出るかもしれないその目標に向かって、「今日から一生懸命生まれ変わったようにする」ことを決断するには、実は大変な気力が必要になっているのです。
そして多くの人は、世界が実は「勉強をコツコツやるのを高くイメージしていない」ことに気づいていません。
もちろん学歴や高学歴による社会的地位には人々が大きな興味を持っていますが、その前にある、何十年もの地味な学習生活には高いイメージをもっていないというか、むしろ低く見ていることが多いように思います。
だからこそテレビでは繰り返し「ガリ勉」という差別用語を流し続けているのです。
あれほど差別語には敏感なメディアが、「ガリ勉」という一生懸命勉強する若者についての超マイナスイメージの言葉を繰り返し平気で使って、いつも笑いものにするのを見ると、私は「日本人に一生懸命勉強されては困るのか?」と思ったりします。
要領良く学習しないことを批判しているのかも知れませんが、それにしても「ガリ勉」はステレオタイプに悪意を持って描かれているからです。海外のドラマや映画ではむしろ好意的にそういうタイプが描かれていることが多いと感じます。
このように気づいていないだけで、あなたの積極的で前向きな新しい決断を阻む周囲の環境というものが、実は常にあなたの正しい決断を止めようとしていることを知らなくてはいけません。
あなたが真に正しい決断、前向きで未来を良好に変えていける決断をしていけば、必ず世界は大きく変わるはずです。
そしてそれは何も難しいことではないのです。
「一生懸命働く」「本気で努力する」「正しい情報を得る」「他人にやさしくする」等々…
ごく当たり前の事を具体的に計画してそれをすることを決断すれば、本当は必ず状況が少しずつ変わります。
それを止めているのは、自分の怠惰さもありますが、その怠惰は実はあなた自身が本来持つ怠惰ではなく、上記のような環境が創り出している偽の怠惰であるかもしれません。
まずはそこを見極めることです。
繰り返しになりますが、1日35000回の決断をすればあなたが選択できる選択肢は、たった1日でも235000通りあるのです。
どうか正しい決断を行ってください。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます