英語が必要な時代
受験において英語学習は昔から重要度が高いものとされてきました。
数学ができなくても一流大学に進学できますが、英語が苦手だと受験科目に英語がない学校は実に少ないためそれができないというのは、受験界の常識のように言われています。
それは私が受験をした昭和の頃から一貫して変わらない事実だと言えます。
しかし小中高大と10年近く英語を学習しても、簡単な英会話さえできないというのも事実であり、英語教育には根本的な問題があるとも言われ続けてきました。
政府は幼児からの英語教育を打ち出したり、受験英語の改革を叫んだり
終始一貫して最近でも英語教育改革をずっと続けていますが
実際に改革が実った様子はうかがえません。
ただ、敗戦国日本で母国語の日本語を奪われなかったのと引き換えに、GHQの政策では、いずれ日本を英米のような国に変えて行くとされていたのでしょう。
そういう事もあってかわが国での英語教育は深く浸透しているように思えます。
しかしそれは受験合格のパスポートとしての英語であって、本当に会話として使える英語ではありません。
実際のところは社会に出てから自分で英語を学習して、それによって何とか企業の仕事などでも英語を使えるようになっていくというのが現実です。
AIの台頭
最近AIによって自動翻訳がされるようになりました。
文字の翻訳については、もうかなり前からgoogle翻訳などかなり精度が高いものがありますが最近は口頭の自動翻訳機も出始めました。
精度が高くなりウエラブル端末(身に着ける形で使えるもの)になって
まるでドラえもんの翻訳こんにゃくのような感じの簡易な機器の登場もすぐではないかと思われます。
ところが不思議なのは、そんな段階なのにも関わらず政府が相変わらず英語教育の強化を打ち出していることです。
素朴に考えて「なぜ」と思うのが自然なところです。
英語教育の裏にあるもの
英語教育の裏にあるものは、実は大きな利権なのだと言われています。
巨額の金額がこういったところで利益として動いているため、
なかなか「本当に必要かどうか」を一から考えるのも難しいのかも知れません。
もちろん私たち塾は在野的な存在ですので、そんな利権とはほぼ無関係です。「ただ目の前に学ぶ必要を持っている人に最適な指導をする」のが塾ですから・・・。
でもこのままだと、こんな間抜けな未来の光景がやってくるかもしれません。
親がオンラインで自動翻訳機で海外の人と楽しく会話している横で、子どもが英単語の書き取りをしている。
ウエアラブルな翻訳端末やスマホは簡単に口頭で翻訳できるので、試験会場には持ち込めず受験生は難解な文法の問題をいっしょうけんめい鉛筆で解答している。
そんな意味のない未来はイヤではありませんか。
数学や理科についてはAIが登場しても、論理や考え方などの分野で、まだ人が深く学習する意義はしばらく残ります。
英語についても英文学や言語学のジャンル、あるいは比較文化学などのジャンルでは研究の対象となり続けるでしょう。
しかし私たちが小中高で学習してきた英語は、はっきり言ってしまえば
「外国の人と意思疎通をする」ための英語学習が大部分でした
だから口頭で翻訳されれば、実はほぼ学習する必要はなくなります。
そういう方向の学習は早く終わりにして、むしろ外国人と私たちの物事の考え方や文化や歴史の違いなどについて、深く考えたり学んだりする方向へ舵を切る必要がある時に本当は差し掛かっているのだと思います。
先を見越した学習人生プランを考えていく
日本は戦後高度経済成長を果たして先進国の仲間入りをしました。
その過程では、とにかく学歴をつけて大企業に就職したり
高級官僚になったりすることが奨励されてきました。
英語教育もその中で、世界(と言っても英米ですが)に進出していく際に必須のアイテムとして強化が叫ばれてきたのだと思います。
それは国家の長期的目標と個人の目標が一致していた幸せな時代でした。
しかし現在はそうではありません。
利権でがんじがらめになっている我が国の中枢にいる人たちは
どうも「国家百年の計」とか「国民がどう学習していけば世界に負けない日本を作っていけるのか」というような理想に関してはあまり興味がないように見受けられます。
だとすれば「英語が大事だ。世界に出て役立つのが英語だから」と言われて
そればかり一生懸命に学習して、
気が付いたら英語を知らなくても何も困らない時代になっているなんてことは、時間を無駄にすることなのかも知れません。
政府が決める道筋が必ずベストな長期的目標ではないことには、すでに多くの方が気づき始めているかと思いますが、
教育と言う自分のお子さんの大切な未来の話ですので、そこは慎重に自分自身の頭で考えるということが大切なのではないかと思います。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。