心配と後悔
私たちは普段物事が順調に行っていて、そのことに気を良くしてノリノリで暮らすというようなことはまずありません。
何かがうまく行けば「あのことは気になる」
また別の何かがうまく行けば「今度はあのことが心配」
大体のことがうまく行っても「ああ、1年前のあの時にああしていれば今こんなに大変じゃなかったのに・・・」
というような感じで常に何か「心配」をして、あるいは、何かを「後悔」しているのが実際なのではないでしょうか。
簡単に言うと「未来」の心配と「過去」の後悔を「現在」繰り返し交互に行っていて、肝心の「現在」に身に入っていない事が結構あるような気がします。
心配事だらけの毎日
今の世の中は、膨大な情報が飛び交うようになっていて、SNSでも様々なトークがされていて、
ハッピーになろうとすれば、どこまでも楽しく過ごせますが
心配し始めたら、心配がどんどん膨れ上がってしまう、そんな社会になっている気がします。
よく耳にする(目にする)のは、さまざまな心配におびえる人たちです。
またマスコミも、それが仕事なので仕方がないのでしょうが毎日不安を煽り続けます。
「老後は〇〇でないと無理」
「こんな病気がまた中国で発生」
「こんな症状に注意。命にかかわるかも」
「いつあなたもそうなるかわからない」
「さあいい保険がありますよ」
「さあいい薬がありますよ」
そんなセリフを毎日繰り返しています。
なかなか「心配をするな」というのが無理な時代になってしまっているのかも知れません。
まだ何も起こっていない
「心配」というのは、何かを上手く行かせるためには必要な部分があります。
しかしそれが進み過ぎると、身動きが取れなくなってしまいます。
「危険を感じて対処すること」と「心配して不安になること」の違いは、その時期にあります。
「危険を感じて対処すること」は絶対に必要なのですが、それは危機がやってきた時にすることであり
「まだやってきていないこと」を悶々として不安に思うのは、それよりずっと前の段階であることがほとんどです。
まだ何も始まっていないことを、あれこれ考えても「まだ何も起こっていない」ので現実を変えようがなく、どんどん深みにはまっていきます。
月並みですが、「案ずるよりも産むが易し」ということが真実です。
「テストで結果を出せるだろうか」
「テストで結果を出せるだろうか」という心配をする生徒はたくさんいます。
一生懸命やっている生徒こそ、そういう心配をすることが多いのですが
時には、やるべきことをあまりやっていないのに、心配ばかりをしている人もいたりします。
そんな時は色々なアドバイスをして励ましますが、
やはり一番効くのは「何もまだ始まっていない」という言葉です。
この言葉で生徒は「今からなんだ」という事を改めて思い出します。
そうなんです。
現実がやってくるのは、「心配」よりいつもずっと後の事なのです。
だから「心配」は、いくらしても決して現実を動かすことができません。
だとしたら、「心配」はエネルギーの無駄ということにはならないでしょうか。
「心配」をすべてシャットアウトして、まったく考えないまま事態に直面しても、しっかり危険を察知できさえすれば、実は問題は起こらないのですが
「『心配』という儀式が必要なのだ」と人は思い込んでいるのだと思います。
エネルギーを奪うそんな儀式からもう自由になりませんか。
今をもっと楽しんでいても、明日はそんなに悪くはないと思います。
楽しい今日を過ごし、明るい気分で明日を迎え、何かやってきたら落ち着いて対応すれば、その時にはその時で、きっとずっと良い対策ができるものです。
自分を大切にしていきましょうよ。