どうすれば目的を達成できるのか?
木に縁りて魚を求む(きによりてうおをもとむ)という言葉があります。
これは、方法を誤れば目的は達成できないということを表す言葉です。「木に縁りて」とは「木によって」つまり「木に登ることで」という意味で、木に登ることで魚を取ろうとするということは無駄であるということを示しています。
この言葉は『孟子』梁恵王に出てくる故事が元になっています。「欲辟土地、朝秦楚、莅中國而撫四夷也。以若所為求若所欲、猶緣木而求魚也」というもので
孟子が武力で中国を制覇しようとしていた斉王に対して言った「土地を辟き(ひらき)秦楚を朝(ちょう)せしめ、中国に莅んで(のぞんで)四夷(しい)を撫せん(ぶせん)と欲するなり。若し為す(なす)所を以て若し欲する所を求むるは、なお木に縁りて魚を求むるがごときなり」から来ています。
その意味は「斉の領地を広げて秦や楚を服従させて中国を統一して、中国の周囲も平定しようと望んでいます。そのようなやり方をしていて、これを成し遂げようとしても、それはまるで木に登ることで魚を求めて得ようとするのと同様です。」ということでした。
物事を達成する時には必ずそのための最適な手段がありますが、私たちはなかなかそれを見つけることができません。
この故事は、その内容(武力で制覇することが手段として適切かどうか)については歴史の解釈に委ねるとしても、間違いとして挙げている例(木に登って魚は取れない)については、まさに正しい指摘をしていると思います。
学習における魚獲り
この話を学習に置き換えて考えた場合、目標である学習成果の達成は「魚とり」にあたると思われますが、果たして皆が魚を獲るための網を準備したり、川の狭いところに魚を追い込んだりしているでしょうか?
たとえば、単語を覚えるために延々とノートに同じ単語を書き連ねている生徒がいます。
多くの場合、学校の先生がそういう宿題を出しているのですが、急にノートを手で隠して「今書いていた単語を書いて」と言ったときに、正しく掛ける確率は5割くらいの時もあります。
前の単語を写しているだけで、まったく覚える作業をしていないのです。
これなどは、形としては魚を獲る姿勢に見せかけて、木に登っているものと言えます。
学習の際に最も最初にやらなくてはいけないことは、「どうしたらそれが最短の時間で合理的にできるようになるか」を考えることです。
そしてそれは学校の先生に考えてもらうものではありません。多くの先生は事務処理の効率を考えて真に個別の生徒であるあなたが最短距離で単語を覚えられる方法を考えいないかもしれません。
上記のような宿題などは良い例です。先生が確認しやすいからそういう方式を取っているだけだと思います。
生徒に本気で覚えさせるつもりなら、そんな宿題の出し方は決してしません。このような宿題の出し方は、生徒が覚える機会を失うだけでなく、学習への意欲も奪う場合があります。
さらに一番問題なのは、学習では合理的にやり方を考えていくことが大切であるということを、生徒に否定させるようになってしまうことです。
「とにかくたくさんやって提出」「まじめに書いて提出」それが学習だと思い込むと将来自分の学習を考えていく能力を大きく損なってしまうので、そこは極めて注意が必要だと思います。
いずれにせよ、早い段階で「自分が合理的に学習をできるようにする」ための方法を一つずつ考えていくことが大切だと思います。
魚の獲り方をしっかり考えられるようになれば、一生魚には困りません。
学習の合理的なやり方をしっかり考えられるようになれば、少なくとも一生勉強のやり方で悩むことはありません。結果に結びつかない場合はまた自分で修正すれば良いだけです。
木に登ったり、先生の指示する間違ったやり方をまじめにしっかりやるのはほどほどにしておくべきでしょう。