【易しい量子力学】「意識」は私たちの脳にはない?量子脳理論をごくごくわかりやすく説明します。

意識はどこにある?

 あなたは自分に「意識」と言うものがあることを疑ったことはありますか?

おそらく皆さん自分には「意識」があるということについて確信をもっていると思います。

ではその「意識」はどこにあると思いますか?

普通に考えれば脳の中にあると考えるでしょう。しかし量子力学の研究によって、「意識」は脳にすべて収納されているのではないかということが分かってきているのです。

「それってどういうこと?」そう思われますよね。

この考え方を量子脳理論と言いますが、何しろ専門用語だらけなので、検索しても意味不明と言う方が多いかも知れません。

今回はできるだけわかりやすく説明をしてみたいと思います。

脳はWifiルーターのようなもの?  

 量子脳理論の中でも最も有名な、イギリスのノーベル物理学賞受賞学者ロジャー・ペンローズとアメリカの医学博士スチュワート・ハメロフの理論を元にごく簡単に説明を試みると、

意識は素粒子(量子)という世界のどこにも遍在している極小の粒の中にありますが、この量子は電流や電磁波などのようなものや、光などを介さず、お互いにペアになっている別の量子と瞬時に情報を送受信できるため、言ってみれば瞬間情報伝達ができるのです。これを量子もつれと言います。

そして意識が入っている量子が何処にあるかはわからないのですが、少なくともそのペアの量子は人間の脳に普段はあって、意識が生じるとそれが瞬間にその脳内の量子に情報として伝達がされるということ(量子脳理論)だと解釈できます。

 そして誤解を恐れずわかりやすく言えば、意識の入っている量子がサーバーのPCだとすると脳内にある量子がそれを頭脳というPCに情報を入れるためのWifiルーターのようなものであると言えるかもしれません。

 50代以上の方なら、トランシーバーのような通信機器というたとえの方がわかり易いかも知れません。

いずれにしても意識自体が存在している場所は脳ではないのではないかということです。

これを前提にすると臨死体験などの際に人の意識が身体から抜けて部屋の上空から自分の身体を見ていたというような話も、Wifiルーターである量子が臨死において体内から抜けて遥かな意識自体が収容されているもう一つの量子の元へ戻ろうとする過程として説明ができます。

他にもいろいろな事と整合性をもって説明ができるものが実はあります。

自由意志はない?

 有名な生理学者ベンジャミン・リベットの実験によると、人が意思決定する0.5(一説では0.35秒)前にすでに意志が決められて身体に指令が出されていたといわれています。いわゆる、人の自由意志否定論ですが、

これが本当かな?と思える実験があります。

もし興味がある方はやってみてください。

まず、目を閉じて何も考えようにしてみてください。一切の思考をストップします。

なかなか難しいですが、何とかストップしてみます。

しかしすぐに思考が浮かんできます。それは前に行ったお店の陳列棚の風景であったり、上司に叱られている場面だったり、あるいは、今夜のおかずの肉だったりします。

引き続き、静かにそれを観察してみてください。

どうでしょうか?

あなたはそういう次々に浮かんでくる思考を事前に「こう考えよう」と思って思い浮かべましたか?

違いますよね。何が浮かんでくるかは事前に何も考えてはないし予測していなかったはずです。

これをやってみると「あれ?自分で思考を決めているのではないのかも?」と感じたりします。

そうだとすれば、世界のどこかにある意識の収納された量子から、思考の指令が私たちの脳内の量子に伝わってきた結果、実際に私たちが思考するというのも、あながち的外れでもない気がしてきます。

二重スリット実験

 最近よく話題になっている量子力学におけるこのような様々な研究は、私たちに新しい驚きを与え続けています。

「この世界の謎が次々に解明されていくのだろう」という期待を抱かせるのに十分な新事実が発見されています。

たとえば有名な二重スリットの実験があります。

これは物理学で、光路差が光波の整数倍になるかどうかで明線・暗線を観察して考察する「ヤングの光の干渉性の実験」という有名な実験があるのですが、

その光の代わりに電子を使って粒子と波動の二重性を証明した実験です。

量子力学を代表する実験でアメリカの物理学者リチャード・P・ファインマンがこれを「量子力学の精髄」と呼んだことでも有名なものですが、なぜ有名かというと、観察者によって、同じものが波動から粒子へと振る舞いを変えるということが証明されたからです。

「粒子と波動の二重性」を証明したこの実験は、光などが粒子の性質と波の性質の双方を持っていて、誰かが観察すると普段は波にしか過ぎないのに突然粒子として現れる事が分かったため、世界に衝撃を与えたと言われています。

 二重スリットの実験は、極端な表現をすると、世界は、私たちが観察していない間はもやもやした形のないものだが、私たちが観察した瞬間に机、花瓶、ねこといった形のあるものになる、というような、「この世界が仮想現実である」という考えにつながる可能性のある実験と言ってよいと思います。

 これにとどまらず量子力学は、私たちのまだ知らないこの世界の仕組みを解明するものとして大いに期待されています。従来のニュートン物理学ではわからなかったことが次々とわかっていくのは本当に驚きです。

量子もつれ

 二重スリット実験と並んで非常に有名なのが量子もつれ現象です。

量子もつれというのは、わかりやすく言うとABといううペアになった量子(極小の粒子のこと)を仮に宇宙の端と端に置いたとしたときに、「Aが右回転をすると即時にペアとなったBが左回転をして対応する」というような相関性をもっているということを言います。

 これはあくまで素人でもわかるように説明されたモデルですので、そこはご了承ください。科学的な定義における量子もつれ( quantum entanglement)とは、量子多体系において現れる古典確率では説明できない相関やそれに関わる現象を指し、量子エンタングルメントとも呼ばれる関連状態を言いますが、このようなエンタングル状態が持っている非局所的な相関という性質の一例が、上記に挙げた例になります。

 難しい話はさておき、この例に見られるような性質が認められたというのは非常に凄い事です。

なぜかと言うと、光の速度など完全に超越して「情報」というものが宇宙の端から端であっても瞬時に伝達されるということが分かったからです。

よくスタートレックのようなSF映画で「転送」と言うのが登場して、ステージ上の人がデータとして別の所へ送信されて、その人がその別の場所に現れるというシーンがありますが、もし人間を「情報」というものに完全に変換することができれば、ああいうこともできるのかもしれません。いや、量子もつれという事で考えれば、転送ではなく向こうにも同じ人がいるということになるでしょうか。

 完全に科学の革命と言うようなものが起こっているのです。もちろんこういう話はなかなかメディアからは流れてこないのでご存じでない方も多いかも知れません。

科学の進歩の意味を取り違えているメディア

 最近特に医療や環境の分野で「それは本当のことなのか?」というような、普通に科学について勉強をしてきた者であれば「おや?」と感じる情報を目にすることが多くなりました。

 これはメディアによる情報操作による面が大きいため、もちろん科学者自身がおかしなことを言っているというわけでもないのでしょうが、メディアとそれを通して利益を得る既得権益主体が、以前と比べてあまりに利益誘導を露骨に行うようになったため、黒を白と言いくるめるような情報が流れるようになってきたのだと思います。

 今回のテーマからは外れるので詳しくは言いませんが、小学生でもおかしいと思うような事を大真面目にメディアが流しているのを見ることがありますが、有名大学の教授とかが出てきてその荒唐無稽な話を自分たちが作ったデータを元に詳しく説明されるので、つい視聴者は「そういうものかな」と思ってしまうのでしょう。

その際によく耳にするのが「そのエビデンス(証拠)はこのデータである」というような言葉なのですが、そのエビデンスのデータが情報の部分の特定の切り抜きだったりするので、実は全くピント外れの事であったりします。

ただ、形式的にも証拠のデータを大げさに示すことは、逆に言えばエビデンスのない事は一切認めないという硬直的な姿勢を示すものと言ってもいいのかも知れません。

私たちが考えて「当然こうじゃないの」というごく常識的な事までも「でもそのエビデンスはないですね」というような形で否定するのも最近では目にすることがあります。それでますますよくわからない事になっている事も多いです。

 しかし科学の進歩においては、証拠があることから理論が考えられて進歩が遂げられてきたのではないことを、私たちは知っておかなくてはなりません。

それは全く逆です。

「ひょっとしたら地球は丸いのかも知れない」あるとき人が考えました。

 その時には、その人が考えた状況証拠的なものはあったとしても、もちろん直接の証拠はありませんでした。周囲の人はそれを笑ったと思います。

でも「それは証拠がない事だから誤りである」とすれば、そこで科学の進歩は止まっていたでしょう。

まず思考(理論構築)があって、その後に証拠が見つかっていくのが、実際の科学の進歩です。

 そして21世紀の現在では、逆に「ひょっとしたら地球はやはり平面かもしれない」という事をわりと多くの人が言い出しました。

証拠はまだ地球球体説を打破するほど揃ってはいませんが、実際の所は今も「そんなバカな事があるか」で片づけられています。

事の真偽はさておいて、「証拠がないから間違い」というのは現時点の現況を示すだけで、最終的な理論の真偽を示すものではありません。

だからやがて「やっぱり地球は平面だったね。南極は平面を囲んでいたんだね」となっても、何ら不思議ではないのです。

科学を志す人はこのことを知っておく必要があります。

同様のものとして「死後の世界はあるか」「宇宙人の存在」「宇宙の外側はどうなっている」「本当に宇宙は存在するのか」「幽霊の存在」などなど、今は科学的には解明されていないですが、いずれ明らかになりそうな題材はたくさんあります。

そして今は荒唐無稽に思えても、それは決して未来においても非科学的なものではない可能性が高いのです。

 しかし残念ながら今の科学は「大学へ行って教授の下で研究をさせてもらう」「権威的な機関に論文を評価してもらう」「特定の分野を決めたらそれをはみ出す分野の研究は他の権威の領域を犯すので評価がされない」というような、極端なピラミッド的な構造の下で展開されているので、いわゆる常識はずれな研究は、すべてそういう所では日の目を見ることがありません。

 そしてメディアでは、よくわからない謎の探検隊やお宝のウソ話は大きく流すのに、こういうことについては、むしろお笑いのネタくらいにしか扱いません。だから人々は「何言っているの」という認識しか、こういう分野については示せなくなってしまっているのです。

 ところが唯一例外の学問があります。それは量子力学です。

なぜ量子力学で、次々とこの世界の仕組みについての人々の概念を覆すような発見がされているかといえば、この学問が最初から「世界の秘密を研究する」という怪しげなテーマではなく、あくまでも「物理を研究する」という所から発展したことが良かったのだと思います。

物理を研究していたら、この世の中が仮想現実だったことが分かり、意識が人の脳内にないことが分かってきたということなので、「そんなことを言っているのはバカ」と言うような従来の堅い頭の科学者の領域外で自由に研究が進められたのではないかと思います。

今後も期待ができる分野であることは間違いありません。

量子力学の長い歴史

 量子力学は相当昔から研究が進んでいる学問ですが、私もネットであれこれ検索する前はほどんど知りませんでした。

すでに1838年のファラデーの陰極線の発見にその発端が見られ、1870年~1900年にはこの分野で有名なルードヴィッヒ・ボルツマンやマックス・プランクによる様々な量子仮説が発表されています。

1900年と言えば伊藤博文の立憲政友会ができた年ですから、本当に量子力学は昔からある学問なのです。ニュートン物理学やアインシュタインの研究が主流の世の中だったので、日の目を浴びるまで時間がかかったという事もあるかも知れませんが、科学においてもメディアの取り上げ方ひとつで何が正しいかの選別がされてしまっている傾向が確かにあるように思います。

しかしその量子力学によって、量子もつれのことが解明されたことから、人の意識についても、それが何らかの関連があるのではないかということまで研究は進んでいるのです。

人の意識と量子もつれ

 冒頭に述べた「人の意識がどこにあるか」という話の理論的な部分は、まさにこの量子力学でなくては説明ができなかったであろうと思われます。

上述した通り、量子もつれと意識の関係については、ロジャー・ペンローズとスチュワート・ハメロフの考えが特に有名です。

それによると、意識は大脳のニューロンにより物理的に生じているのではなく、何らかの量子過程から生じているとの推測がされています。彼らの「Orch OR 理論」によれば、人の細胞内にあるマイクロチューブル(微小管のこと)という場所が、この量子過程が起こりやすい構造をしているため、ここを介して何かが起こっているという事らしいです。

 そしてここからは私の推論になりますが、量子もつれという事が実際に証明されているということであれば、人の細胞内のマイクロチューブルに量子があれば、その量子とペアになっている量子がどこか(たとえば宇宙の端や別次元の世界等々)にあったら、「意識はその「どこか」に存在していて、脳内にはない」ということで論理的整合性が取れてしまいます。

冒頭の意識についての簡易な説明は、これを元に書いて見たものです。

こういう話は、一見荒唐無稽な話のようにも思いますが、量子もつれや量子脳理論が詳しく論証され、ある程度の証明が進んでいることと、意識に関しての従来の脳物理学が神経細胞的な方向から意識の意味や存在の仕方をいまだ証明できていないことを照合するならば、この発想はかなり合理的だと思います。

 少し話が難しくなりました。

この話をもっと簡単に言いますね。

つまりこれは、人の意識が脳内にないとすると「人の身体が死亡によって機能を停止しても意識は存在し続ける」という話なのです。

日本人は無神論者が多く、「人は死ねばその後はない」と言い切る人が多いのですが、科学的には、死後の世界が存続するかもしれないという論証が大変たくさん登場してきています。

これについても、学問として本来は正面から研究すべき事柄のはずですが、今の科学界では難しいでしょう。

ただ自分が臨時体験した脳科学の権威の方がこの分野に踏み出したため、少し状況は変わりつつあります。また稿を改めてお伝えしたいです。

もし本当に死後の世界があり、意識がそのまま継続するということであれば、私たちの人生や生き方に対する考え方も、今後大きく変わってくるのではないかと思います。

私自身はずいぶん前から死後の世界も輪廻転生も信じてきているので、「当たり前でしょう」という感じですが、

そうでない方も、この理論を聞いてちょっと考えてみるのも面白いかもしれませんよ。

先があると思えば、自分を磨き向上させていこうとする努力にもより力が入るというものです。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしてきます。

 

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