【ゼロマージナルコストエコノミー】夏のことわざ「夏歌う者は冬泣く」は過去のものに?

夏歌う者は冬泣く

 夏のことわざで「夏歌う者は冬泣く」というものがあります。

「働けるときにしっかり働いておかないと、後で困った事態になる」という意味のことわざです。

夏と冬というのはたとえで、イソップ物語のアリとキリギリスの話と同様のニュアンスのことわざです。

夏の間歌を歌い楽しく遊んでいたキリギリスが、一生懸命働いているアリを馬鹿にしていたら、冬になって食料がなくなってしまって自分が間違っていたと気づく話ですが、

このことわざにもこれと同様の考え方、つまり後悔先に立たずという考え方が表れています。

 アリとキリギリスの話は、勤勉な日本人には大変好まれている寓話ですが、このことわざについては知らない人が多いかもしれません。

人生100年時代を迎え、政府も「老後の資金に2000万円が必要」などと言う昨今ですから、こういうことわざにあるような慎重さが大切だと思われる方が多いのかもしれません。

夏歌わず冬も泣く

「夏歌う者は冬泣く」は農耕が中心の社会の頃には現実味のある言葉でした。

働くべき季節にさぼっている人が、実りの収穫を経て冬に安心するということはなかなか難しく、飢饉などがあれば真っ先に困ってしまうというのも現実にあることだったことでしょう。

 しかし明治以降の日本においては、アリとキリギリスの話もこのことわざも、共に未来への不安を煽って、より勤勉な臣民を育成するために利用された面もあるかも知れません。

もちろん勤勉であること自体は素晴らしいので問題はありませんが、「冬に泣く」という発想が少し違和感があります。

アリとキリギリスの話にはいくつか異なるバージョンがあるのですが、その中にアリが冬にキリギリスに厳しいことを言って食べ物をあげないというバージョンがあります。

子どもの頃そのバージョンの話を読んで「アリってひどい奴だな」と思ったものですが、そんな感想を持たれた方もいるのではないでしょうか。

 そして現代はどうでしょうか?

雇用情勢は日増しに悪くなり、税金は増え続けるばかりで、ついに実質5割を超えるお金を国が回収していくようになりました。

一生懸命働いて家族の幸せや自分の自己実現を果たそうと思って、毎日長時間労働をし続けて「夏働く者」は本当に「冬笑っている」ことができるのでしょうか?

ごく普通に生活するのだけでも大変な時代になりつつあります。

「夏歌う者は冬泣く」を恐れて「夏歌わず冬も泣く」という状況になっているのが現実です。

これはもちろん一番悪いのは失政であり、国民の側の問題ではないのはもちろんなのですが、国民の考え方もそろそろ変わっていく必要があるのかも知れません。

もう一つのアリとキリギリス

 実はアリとキリギリスの話にはもう一つバージョンがあります。

それは冬に飢え死にしそうになったキリギリスが、「自分はやりたいことをやってきて満足だった」と言って死んでいくというバージョンです。

「やりたいことをやる」こんな当たり前のことが今の社会においてはなかなか実現しません。それは私たちがお金というものに縛られてしまっているからです。

今の社会に合わせて象徴的な表現を使って言うならばこんな感じになるでしょうか。

若いころ就職もしないで好き勝手なことをしていた彼は、夢ばかり語って他の誰にも頼らなかった。そしてついに老後の資金がなくなってしまう。生活保護も受けられない彼は最後には生活資金が枯渇して飢え死にしてしまうのであった。

でも「おれは楽しくやりたいように生きてきたんだからいいんだ」そうつぶやいて彼は笑顔でこの世を去った。

しかしこのストーリーには大きな間違いがあります。

まずそもそも会社に入らなくても自分の好きな事を発信したり、興味のあることだけをやってお金が入ってくる方法が現在はあります。

またコストがかからずに大金を動かす方法もあります。

それは、動画チャンネルしかり、ブログやSNSを通じたアフェリエイトしかり、FXしかり・・・いわゆるゼロマージナルコストエコノミーです。

ゼロマージナルコストエコノミーは、限界費用ゼロ経済のことを指します。マージナルは限界と言う意味です。インターネット社会が発達しデジタル技術が進歩したおかげで、費用を極限までかけずに利益を最大限得ることのできる方法が生まれてきています。

例を挙げると、動画再生回数が多ければそれだけで大金が入ってくる。人の役に立つ情報を発信すれば広告費用(アフェリエイト)からびっくりするような大金を得ることができる。わずかの資金しか持たない者がレバレッジを使い外国為替証拠金取引(FX)を行って年間数千万を手にする・・・等々

これらを行うための費用は得られる報酬に対して非常に少ないものであり、極限まで効率的に利益を上げることができます。

これらは会社に入って普通に勤務して報酬を得るのとは異なり、毎日一生懸命やっても1円も入らない場合も多くあります。それどころかFXなどは一瞬で大金を失う危険があります。

だからお勧めするわけではないので、その点は勘違いしないでほしいのですが、こういう稼ぎ方が登場してきたという事自体には注目する必要があります。

なぜかと言えば、「楽しいことを毎日やってそれだけで生きていける」ことが、一般人にとっても可能な時代になったという事だからです。

若いころ就職もしないで好き勝手なことをしていた彼は、夢ばかり語って他の誰にも頼らなかった。しかしその発信が多くの人に夢を与えて世界中の人の心を豊かにした。大金を手に入れた彼は家族を持たなかったために、最後は全ての財産を寄付してしまった。

でも「おれは楽しくやりたいように生きてきたんだからいいんだ」そうつぶやいて彼は笑顔でこの世を去った。

こんなこともすでに起こりうる世界になっているということです。

もちろんこれは価値判断ですので、そんな危ない橋を渡らないという考え方もあると思います。

しかし会社に勤めながら動画チャンネルを開設したり、アフェリエイトをやったり、FXを兼業でやっている人も今は沢山います。

ゼロマージナルコストエコノミーへの挑戦は実は大変身近なものになりつつあるのです。

ピラミッド社会の正体

 世界で一番お金を持っている人はどんな人たちか?そのことに気が付けば、現在のピラミッド社会の秘密に気付くことができると思います。

世界で一番お金を持っている人は株式を持ち会社を所有している人たち、有り余る資産を投資に回してさらにその配当で暮らしている人たちです。

そして現代社会は、株式会社を始めとする企業の活動で社会が回っているため、その会社を支配しているという事は、つまり社会において大きな発言力をもっているということになります。

最近ではメディアやプラットフォームとなるSNS媒体まで世界的なピラミッド社会の一翼を担うようになり、情報に大きなゆがみが生じていることは多くの人が感じ始めている事となっています。

 日本は世界的にも類を見ない戦後高度成長を遂げた国であるために、その時代に主力となって働いていた現在の老人たちは、「一生懸命働けば必ず報われる」「お金がないのは努力が足りないから」というような意識を持っている方が多いかもしれません。

それは当時においては真理であったかもしれませんが、今はどうでしょうか?

欧米式の資本主義が極限まで進んで、日本も構造改革の名のもとに、30年前政治の世界に国際金融資本の手が大きく入ってきてからは、ピラミッドの上部の一部の人たちがどんどんお金を吸い上げる構造になってしまっていると見るのが、おそらく国政とマクロ経済についての現在の正しい見方だと思います。

ピラミッドの下部にいる限り、人々は皆先細りを我慢するしかないというような状況に追い込まれているように感じます。

今や「一生懸命働いてもお金は国が持っていく」「努力をしても普通に暮らすことができない」というのが多くの方の共通認識になりつつあります。

 そんな社会でこれから生きていくのは大変ではありますが、事態はいずれ改善すると思います。歴史を振り返ってみても、そのような権力の集中が永続することはなかったからです。

全世界のほとんどの富を数人が所有している今の世界は異常ですが、メディアではそういう状況の勝者である人をずっとスーパーヒーローのように扱っています。

どうも発想の原点に誤りがあるような気がしてなりません。完全な自由競争ならばそれもありかも知れませんが、現実には既得権益や利権による力の相乗的な集中効果というものが強く働いているからです。

ただ元々資本家がメディアを保有しているのだから、ヒーロー扱いするのは当然かも知れません。

 私たち日本人は、他人に言われなくても、夏のことわざ「夏歌う者は冬泣く」という勤勉思想をおそらく十分に持っています。でも今後はそれに加えて「夏歌って冬も楽しむ」という思考も手に入れていく必要があるのかもしれません。

有名ユーチューバーになったり億トレーダーになるのは簡単ではありませんので、それをお勧めするわけではありません。

ただ現在のウェブ環境をうまく活用すれば、身近な事で、そういう思考のもとで、楽しく毎日を暮らしていける方法はいろいろあります。そしてそんなことを自由に考えていける時代になりつつあるのです。

もちろんそれにしても新しい発想が必要であったりして、容易なことではありませんが、ピラミッド社会の中に自動的に私たちが組み込まれてしまっていることに気づくことはとても大切なのだと思います。

 日本の学校においては、決してこのような思考を教えることがありません。

現在の日本の学校制度自体がそもそも戦前はよき臣民を育成するためのものであり、戦後は経済成長によって国を発展させるためのビジネスマンや官僚を育成することに一番の主眼を置いたものであって、純粋に個人の育成に向けて作られたものではないからです。

 私は学生時代、学校での卒業後の進路としてなぜ「進学と就職」しか選択肢がないのか不思議でたまりませんでした。

「起業」や「研究」「政治活動」「奉仕活動」「芸術活動」などがあっても本来おかしくないはずですが、そういう事はそもそも想定されておらず、仮にそれを言い出す生徒がいれば教師が親心からそれをいさめるというのが通例です。

 そして一部の資本家の子どもを除いては、半ば自動的にすべての人が一度は資本主義社会の末端からスタートするという仕組みになっているのです。もちろん資金がないという現実的な理由もあるわけですが・・・

これについては、それを改善することを政治が行わないということが問題の核心です。また海外では当たり前の創業への融資が、長らく我が国ではほとんど認められて来なかったあたりにも問題があります。

 日本では、以前はこういう進学⇒卒業⇒企業へ就職という一般的なルートの存在自体が人々の幸せに直結していましたが、今では徐々にその前提が崩れています。

一流の会社に入り一生懸命働いても、簡単にリストラされてしまったり、早期退職でどうしようか悩むことになる位の事ならごく普通で、大企業がつぶれてしまったり、会社自体が買収されて外国の企業になってしまって簡単に自分が解雇されてしまうなどということも起こっています。

 だから自分自身のこれからを展望するにあたって、もう一度「一体何のために頑張るのか」「頑張ることにどういう意味があるのか」という事を考えてみることは大変重要だと思います。

 それはつまり「幸せな生き方とは何か」について誰かに教えてもらうのではなく、自分の頭で考えてみるということです。

時代は大きく変わります。そして知らない間に変わっていきます。

メディアは常に既得権益の代弁者です。それを現在の本当の世界だと信じていると予想外の不利益を知らずに受けている事もあります。

この数年でそのことを嫌と言う程味わった人がたくさんいます。

普通に仕事をしていたかっただけなのに、不合理な理由で廃業をしなくてはならなかった人を私自身も多く見聞きしています。メディアやそこに登場する人たちは何も責任を取ってはくれません。

だからこそ、原点に立ち返って自分の頭でゼロベースで考えてみることをお勧めしたいと思います。

今後も皆様のお役に立つ考え方や情報をアップしていきます。

 

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