予祝(よしゅく)
願い事を叶えたいとき、皆さんはどんな風にお願いをするでしょうか。
神社にお参りしたり、願掛けをして何か好きなものを我慢したり、人それぞれやり方があるかと思います。
でも実際にはなかなか思った通りにならない、そんな方も多いのではないでしょうか。
そんなあなたに朗報です。実は日本古来の良い方法があるのです。
それは「予祝(よしゅく)」というやり方です。
簡単に言うと、物事の結果が出る前に、あたかもその結果が出たかのように、あらかじめ(予め)お祝いしてしまうという方法です。
「叶ってもないのに変だ」
そんなことを言われる方もいるかも知れません。
でも意外にこのやり方、理にかなっているのです。あくまでこれは私の実感ですが、やり方を間違えなければ、割と願いは叶い易い気がします。
そしてなぜか世の中にはあまり知られていないものの、予祝には実は長い歴史があります。
行事としての予祝
日本は古くから稲作を始めとする農業を行ってきた国ですが、まだ機械や技術の発達していない時代には、豊作であることは人々の何よりの願いでした。
天候一つで作物がダメになってしまうというのは現在も同じですが、昔の人はもし台風や嵐が来ても対策できることは少なく、逆に雨が降らなければ作物も枯れるし、場合によっては自分たちも生きていけないという状況がそこにはありました。
そこで人々が行っていたのが、豊作に後から感謝するのはもちろんですが、まだ作物ができる前に先に豊作を祝ってしまおうという予祝の行事です。
ことばの意味を引くと、単に俗信に基づく農耕儀礼とか、ひどい場合は呪術(じゅじゅつ)などと評されているものも見かけたりしますが、実は切実な人々の思いが詰まった大切な行事だったのだと思います。
小正月(こしょうがつ=1月15日ころ)に行われることが多く、行事としてよく知られているものには以下のようなものがあるようです。
粟穂稗穂(あわほひえぼ) 粟や稗が豊かに実った姿を示す飾り物を神棚や戸口,神社などに飾る。東日本で主に行われた。
庭田植(にわたうえ) 田植えの真似をして豊作を祈る行事 東北地方で主に行われた。
繭玉(まゆだま) 柳などの枝に繭形にまるめた餅や団子などを数多くつけた飾り物を飾る。繭の出来を豊かにするため行われた。
鳥追(とりおい)正月飾をした仮小屋(かりごや)や雪室(ゆきむろ)に子どもが集まって、鳥追歌を歌いながら、拍子木を鳴らしたり棒で地面を叩きながら地域を歩き回る行事。作物を食べてしまう害鳥を排除することを願って、長野・新潟や関東・東北地方を中心に行われた。
予祝芸能
また、これは主に農業の行事として正式にこれらの地域で予祝として行われていたものですが、他にも予祝芸能というものもあります。
予祝芸能(よしゅくげいのう)とは、伝統芸能の中で、たとえば萬歳(まんざい・現在の漫才の元になった伝統芸能)や春駒(はるこま・正月の門付け芸)・獅子舞(ししまい・同様に正月の門付け芸)などで新春を祝う芸能を行われたのが、予祝の意味を持っていたり、あるいは農作業のあらましをあらかじめ一通り演じることで、順調に稲が実るように祈願する田遊びというものなどが予祝としての意味を持っていたということを指す。
いずれも正月の行事として私たちはとらえていますが、実は予祝の意味をもっているのです。
昔から人々は、今の私たちと同じように、年の初めに「今年は良い年になりますように」という思いを込めて、良い年を想像しつつそれを先取りして喜んでしまう事で、福を呼び込もうとしたのでしょうね。
祈念祭や春祭りなどの予祝祭
予祝はこれだけではなく、昔からいろいろな形で行われてきました。
たとえば、毎年2月17日に各地の神社や宮中で行われる祈年祭(きねんさい)も、その年の五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って行われるもので、予祝祭というべきものです。
春に祈年祭で豊作を祈り、秋には新嘗祭(にいなめさい・神社の有名な行事)で収穫に感謝をするという形をとっていたのです。
また全国各地で今も行われている春祭りも予祝の意味を持つものが多く、中でも上述の田遊びを春祭りの中で行ったり、御田植祭(おたうえまつり)と呼ばれる、牛を使った田作りから田植えや豊かな収穫までの作業を模した動作をやって、豊作を祈るという形のお祭りも多いようです(新春のものを田遊び・田植えの時期にやるのを御田植祭とする分類もあります)
これらも予祝祭と言って良いでしょう。
万葉の時代からあった予祝
予祝は単に最近急に言われ始めたものではなく、このように古くから郷土に根差したものとしてあったものですが、すでに万葉集の中にも予祝を歌うものがあります。
代表的なのは大伴家持(おおとものやかもち)の有名なこの歌です。
新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事 (巻20 4516番)
読み方:あらたしき としのはじめの はつはるの きょうふるゆきの いやしけよごと(「あたらしき」ではなく「あらたしき」と読みます)
この家持の歌は、万葉集と言えばまず浮かぶと言っても良いほど有名な歌ですね。
新年のスタートにはぴったりの歌ですが、その意味は、「元日で立春の今日この日の雪が降り積もるように、いよいよ重なれよ、よき事(吉き事)よ」という内容です。
この歌は「新年の雪を見てこれは豊年の兆しに違いないと感じて、この雪のようによきことが重なりますように」と予祝した歌とされています。
この歌については、以前こちらに詳しい記事をあげていますので、ぜひお読みください。
幸せを引き寄せる力に気づいていた。
予祝はこのように日本では古くからいろいろな形で行われてきました。
そして現在も伝統行事やお祭りなどの形で続けられているもの多いのです。
なぜこのようなことが行われてきたかと言えば、冒頭でお話したように、「幸運な一年になりますように」ということを人々が強く願って、それを先取りすることを考えたということでしょうが、実はこれは今はやりの「引き寄せの法則」からみても非常に理にかなっているのです。
ここからは「もしも引き寄せというものが現実にあるなら」という前提でのお話になります。「引き寄せの法則」というのは、ポジティブな思考が良い経験を、ネガティブな思考は悪い経験をもたらすというものです。
「引き寄せ」は今や世界中で広く知られるようになったもので、単なるスピリチュアルなものを超えて、最近では科学的な面からも解明が進み始めています。
脳科学的に見て、人の潜在意識というものは否定語や細かい論理などを理解できません。
しかし、その潜在意識で人が内心で描いていることについては、それが何らかの働きで実際の世界に波動的に影響を与えるのではないかと言われています。
量子力学における極小微粒子の振動の科学から見ても、これはあり得ることではないかと思われます。
このような「引き寄せの法則」を前提に考えた場合、予祝はまさにこれにぴったり合致するものだと言えるのです。
実際に物事が起こるのに先駆けて、「すでにそのことが成功してしまったかのような気持ちになり、感謝する」
そういう気分になるのが予祝ですから、おそらくそれが良い現実を引き寄せる可能性を高くしてくれるものであったのでしょう。
こういう行事が廃れずに現在まで大切なものとして伝承されてきているのは、単に楽しいというだけではなく、実際に有効で役に立つ面もあったからこそ、ずっと伝えられてきていると考えるのが妥当ではないかと思います。
おそらく新年に「今年は豊作になるぞ」と言っていろんなお祝いを先取りでやったら、実際にも豊作になったということが、実際に結構あったのに違いありません。
このように、昔から人々は自然の恵みに感謝して、明日を見つめて希望を持って毎日を力強く生きてきたのです。
現代のようにマスメディアや政府が、暗い未来を示唆するようなことばかり毎日情報提供していたりはしないのです。その意味で昔の人は心晴れやかに暮らしていたのでしょう。
あまりメディアの流す情報ばかり鵜呑みにしない方がいいと思います。私はもう長い事テレビを一切見ないので、青い空やお月様を見つめながら、「ああきっと明日もいい事ある!」そんな気持ちで毎日暮らしています。
そうすると不思議にいいことは向こうからやってくるものです。
今の私たちを取り巻く環境は大変なことも多いのですが、予祝をしたりして暗い気持ちを吹き飛ばせば、素晴らしい未来はやってくるはずです。
そういう気持ちに皆さんがなってくれるといいなと思い、今回の記事を書きました。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。