いつの間にか苦手になるのが英語
中学・高校と英語学習は続きます。また小学校でも英語が科目として取り入れられました。
大学入試でも、数学は避けて通れますが英語については受験科目から除外されている場合はほとんどありません。
このように、生徒はほぼずっと英語とのかかわりを持ち続けていきます。
だから英語を苦手にしないということは、学習生活を送る上で大きな意味をもってきます。
しかし英語を苦手にしてしまう生徒は後を絶ちません。
しかも最初は英語を楽しみにしていた生徒が、
いつの間にか「あれ、おかしいな」と気づいた時にはすでに苦手になっているということがよくあります。
なぜ自分は望まないのに、いつの間にか英語を苦手になってしまう生徒が多いのでしょうか。
昔の学校英語は論理重視型だった
英語力を本当に身に着けて、実際に英語で会話ができるようになるための、いわゆる実効性のある英語学習については別ですが、
学校で勉強をする「学校英語」については
「学校でずっと学習をし続けても、まともに会話もできない」などと批判がされてから久しいです。
そのためか手を変え品を変え、昔からいろいろな改革がされ続けてきています。
これは私の個人的な感想ですが、実際は英語を勉強する生徒を困惑させるような改革が割と多いように思います。
私が英語を中学校で習ったのは昭和50年代でしたが、その頃の英語の教科書は、まだいわゆる「ディスイズアペン」式のテキストでした。
会話文などは少なく、論理的な流れの学習内容で
良く言えば、「理屈で覚えていける内容」
悪く言えば、「日本語英語の世界」
といった感じでした。
理屈重視の学習だったためか、私にはとても学習しやすく英語で悩んだということはほぼありませんでした。
会話重視の流れ
時は流れて、
私が教師として指導を始めた頃は、少し会話重視の流れが教科書に入りこんできた頃でした。
登場人物の名前も、決まりきったマイクやジェーンではなくなってきていて、指導をする際に新鮮な感じがしたのを覚えています。
英語の教科書を初めて手にしたばかりの生徒が、右も左もわからない段階で
I’m や You're などの省略形を勉強するようになっていることや
昔は it is not . の省略形は it isn't . というのが定番でしたが
it's not .が最初から来ていたりしているのを見て
「ああ、話せる英語を意識してきているんだな」という感想を持ちました。
生徒が感じる違和感の正体
しかしこの頃から、英語の学習初めに戸惑いを感じる生徒が出現しだしたように思います。違和感があるのです。
英語は語学ですから、論理的な内容ばかりではありません。
特に会話については、「こう言うからこう」というものが多く
「何でそう言うの?」という疑問を持つ生徒には
しっくりこない場合があります。
だから高校英語では、その区分けはいろいろではあるものの、おおむね文法と会話とは分けて学習をする流れになっています。
論理的なものと感覚的なものが混ざっていると
きわめて学習をしにくくなるというのは明白なことだからです。
私は中学校の英語などは、本当に初歩の初歩なので
「文法に会話に長文に」といろいろなことを欲張って盛り込むのではなく、
まず文法はステップアップ式で順に論理的に学習していく方式をしていき、高校ほどではなくても、会話は会話で分けて別にやっていくような形が望ましいと思います。
しかしこの頃から中学校の教科書は、これをひとまとめにした内容になってしまっていました。
おそらく生徒が英語を苦手になる一番の要因は、中学英語の指導内容が論理的なものに感覚的な内容を盛り込み過ぎていることにあるのではないかと思います。
論理的な学習かと思って理屈を覚えて行ったら
「これはこうだから暗記して」というものが出てきて
決まりがあるかと思って、それを念頭に置いて学習していたら
実は決まりではなく、すべて覚えないといけないと気づいて
「えっ、どういうこと?」
という気持ちを抱いているうちについていけなくなる
という感じではないかと思います。
具体的に言うと
昔の教科書に出てくる文はたとえば
How many pens do you have?
「あなたは何本のペンを持っていますか」
I have two pens.
「2本のペンを持っています」
というようなシンプルなものでした。
ところがその頃の教科書では
How many hamburgers do you want?
「あなたは何個のハンバーガーを欲しいですか」
I want two. 「2つです」
For here or to go? 「食べていきますか。それともお持ち帰りですか」
というような感じのものに変わってきていました。
数を尋ねる英文の単元に、買い物をするときの会話文が一緒に出てくるようになっていますが、
私は欲張り過ぎという感想を持ちました。
1つずつ文法事項をやり、会話文は会話でやらないと英語に慣れている高校生ではないので、消化不良になる恐れがあると思ったからです。
事実、混乱している生徒は多くなっていたように思います。
当時公立中学でない私学の英語の教科書で、昔ながらの「This is a pen .」から順にステップアップする方式のテキストを見たことがあります。
シンプルな方式でありながら密度は濃く、会話文の学習などはきちんと単元を分けて作ってあり、非常にわかり易い教材でした。
その私学の生徒は英語がぐんぐんできるようになっていったので、やはり教科書の力と言うのは大きいと思ったものです。
公立の英語教科書の内容の悪化ぶりとその私学の英語教科書の完成度の高さの対比が今も強く記憶に残っています。
どう考えていけば良いのか
この当時から更に月日は流れ、
現在の公立の英語の教科書はもっとたくさんの内容が盛り込まれていいます。
分量が厚くなること自体は悪くありません。
問題なのは「理屈を覚える内容」と「暗記してしまう内容」がはっきりとわからないまま並んでいることです。
よく指導の際に
「ここは覚えるところ」
「ここは考え方をマスターするところ」
というように区分けして指針を伝えたりします。
それくらい混ざりこんでしまっています。
対策としては、
文法事項は教科書からそれだけ別個に取り出して確認するようにする
文法の勉強をする際には、教科書の例文を使わず単純な例文を自分で作ってまとめておく
というようなことが効果的です。
今の教科書は、例文に難しい単語やその単元に独自の熟語などを盛り込むので、例文の文法事項が「「つまり何なのか」がわかりにくくなってしまっていることが多いからです。
また、会話文はまとまって出てこないことが多いので、
自分で「会話文ノート」などを作ってピックアップしておくと良いと思います。
会話文はところどころにちょこっと出てくるくせに
受験には重要なものとして出題がされます。
今の教科書の中では、決して軽視できませんから別個のまとめがあれば安心です。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。