素の記憶力の限界
小学生くらいで何かを暗記させようとすると、もともと記憶を得意とする生徒がいて、あっという間に覚えてしまって驚くことがあります。
いや、多くの生徒は小学生くらいの時は比較的物覚えが良いものです。
こういうタイプの生徒は中学校に入っても、大体は素の記憶力で暗記をしていきます。
ところがある時ふとこう思います。
「覚えることが多くなってきたぞ。覚えきれない」
中学の後半の場合もありますし、高校に入ってそう思う場合もあります。
もっと先のこともあるかと思います。
そして、そこで初めて合理的に覚えていく方法はないかと考えます。
その時に真剣に自分なりの暗記のコツを生み出したり、誰か周りの人にやり方を教えてもらったり、情報を集めて良い方法をマスターできれば幸いで、逆に更に暗記が得意になっていきます。
こういう形で進んでいけば、暗記の面ではまずまずの成功パターンと言っていいでしょう。
学習に必要な記憶については、暗記する情報がある程度の量までは、素の記憶力で対応ができますが、情報量が多くなってくるとそれだけでは対応ができなくなるのが普通です。
大切なのは、その時このように自分の暗記法を考えていくことができるかどうかです。
暗記に自信を持ちすぎていて、覚え方を学ばない生徒
これとは逆に暗記する量が増えてきても、やり方を工夫することなくあくまで素の記憶力で勝負しようとする生徒もいます。
これまでそのやり方で暗記ができているため大丈夫と誤信してしまい、量が多くなって限界が来ていても、それに気づくことができません。
記憶の仕方にはいろいろなやり方があり、暗記が得意な生徒は知らず知らずにそのやり方を取り入れているものです。
ごく単純なもので言えば、たとえば一度やった問題をできないものだけ繰り返していくとか、同一系列の事項をまとめて覚えていくといった方法は、学習をしていて自然に発想が浮かぶようなことです。生徒が自分の発想で取り入れているのを時に目にします。
しかし素の記憶力に自信があり過ぎる生徒は、むしろ合理的なやり方を取り入れるのを拒むことがあります。こういう単純な方法さえやってないことがあります。
最初は良くても、当然次第に暗記の結果が伴わなくなっていきます。
答えが間違っていることを指摘しても、記憶に自信を持ちすぎているので「合っているはず。答えが違う」と主張したりして、客観的にどう対策をしていったらよいかがわからなくなってしまうこともあります。
人間は機械のように大量の情報を均一に記憶しない
機械であれば、記憶についてはメモリーの容量が大きければたくさん記憶ができ、少なければ限界までしか記憶ができないということになりますが、人間の脳はそんなに単純ではないようです。
どんなにたくさんの情報が与えられても、それを取捨選択して不要なものを捨て、重要度がある順にうまく記憶をしているように思います。
だから、情報量が多いからと言ってクラッシュしたりはしません。
しかし素の記憶力だけに頼って暗記をしていると、さすがに限界があるのかもしれません。取捨選択をしやすいように自分で工夫をしないと脳の素晴らしい機能は活用できないのだと思います。
この素の記憶力に頼る状態から、やり方を工夫して暗記をする状態に移行していく段階は、必ずどの人も通り過ぎる必要があるものだと思います。
本当に記憶力があると言われるような人は、小学生の早い段階からそういうことに気づいていることが多いような気がします。
逆に暗記物は苦手という人は、この段階の移行ができていないか、上手くいっていないのかも知れません。
「自分の頭脳はコンピューターのように正確ではない」
「だから工夫をしないとたくさんのことは記憶できない」
こういう発想を早くから持つことが非常に重要だと思います。
暗記が得意な人は、実は自分の記憶というものに自信を持っていないことが多い
暗記が得意で優秀な人の話を聞いて気づくことは、そういう人ほど自分の記憶に自信をもっていないということです。
最初は謙遜だと思っていました。
しかし割とそう言う人が多いため、私なりに考えてみました。
その結果こういうことではないかと思い至りました。
「記憶に自信がない」→「だから忘れない工夫をきちんとする」→「人より工夫が行き届いている」→「結果として非常に暗記が得意になる」
少なくとも、彼らは「覚えることは得意だよ」とは言いますが、
「すぐ忘れるからこうしておく」というようなこともよく言う気がします。
このあたりに暗記力アップのコツがあるのではないかと私は考えています。
素の記憶力で覚えておけることなど大した量ではないのかもしれません。やはり工夫が重要ですね。
学習のコツということは、あらゆるところで重要なものであるに違いありません。
今後も皆さんのお役にたつ情報をアップしていきます。