虚構を信じる能力
昨今非常に人気のある「サピエンス全史」( ユヴァル・ノア・ハラリ氏著 柴田裕之氏訳 )という本については、今もいろんなところで話題になっています。
この本は人類の歴史を非常に大きな視点で描いており、その発展の秘密について書かれている名著ですが、そこでは、私たちホモサピエンスがこんなにも地球上で繁栄できた理由の一つとして、虚構を信じる能力があったことが挙げられています(認知革命)。
虚構を信じるというのはわかりやすく言うと、実際には実在していない物事について考えを巡らすということです。
たとえば日本という国は国境に塀が建っているわけではなく、また目に見えるものでもありません。私たちがその存在を信じていることで成り立っています。
皆が「そんなものはない」と思ったら消滅してしまうかもしれません。
しかしその存在を信じて具体化して制度にしていく力が人間には備わっています。動物にはこういう能力はないと思いますが、人間にはあるのです。
発想を自由に行った結果として国家というものができ、貨幣の流通が発生し、経済活動が行われ、法律が作られ国家を治めるための諸制度が作られていきました。
人間の発想が自由で限界がなかったことが、人類が躍進した原動力だったと言ってもよいでしょう。
「考え方」というものが私たち人間にとって本当に重要な意味があることがわかります。
スケールは違っても、考え方が運命を左右することは同じ
話が大変大きくなりましたが、人類という大きな話でなく私たち個人の次元で考えてみた場合も、「考え方」というものが未来を変えていくということは共通しています。
どんな時も人間には未来を夢見る力があります。
これを推し進めていけば、時に独創的な大きなことが達成できることがあります。
幕末に個々の藩を超えて「広く日本という見地から物事を考える」という新しい発想を持った土佐の坂本竜馬は、将軍でもなく藩主でもない国民が国を治める新しい日本と日本人という新しい未来を描き、薩長同盟や大政奉還などを次々に実現させました。
組織に頼るのでもなく最初はたった一人でこれを考えて企画をして、周りの人々を次第に動かして、国を変える偉業を成し遂げてしまいました。
こういうことができた理由は、彼は発想に「これはダメ」「ここは無理」というような制限をかけておらず、夢が自由で限界を設けないものだったことにあると思います。
親は子に、先生は生徒に何を示せばいいのか
子どもが育っていくときに、危険なことを回避して安全な道を行かせようとするのは親心として当然です。
教師が生徒を指導する場合にも、無理なことはさせたくないという気持ちは働きます。
しかし最初から必要以上に限界があることを示されたら、その子どもは、やがてその限界を最上級のものと思ってしまうのに違いありません。
心配なことがあっても、親は子に先生は生徒に夢だけは語るべきではないでしょうか。
子どもが何かをしようと考えた時
「お前ならできる」というのと
「それは無理に決まっている。やめとけ」というのでは
全く結果も異なってきます。
このことを示す寓話があります。
ノミとコップの話
ノミとコップの話をご存知でしょうか。
ノミは体長の何十倍もの高さに跳び上がることのできる身体能力を持っています。
コップにノミを入れても簡単に跳ね上がって外へ飛び出すことができます。
ところがコップにふたをしてしまうと、ノミはふたが天井になり飛び出すことができなくなります。
これをずっと繰り返すと、
コップのふたを取ってしまっても、
ノミはコップの一番上より上までは跳び上がれなくなってしまうといいます。
限界を自分で設定するとそれ以上のことができなくなってしまうことを示す有名な話です。
「限界がある」と自分で決めた時に限界が生まれるのだと思います。
人類が「虚構」を信じて繁栄をしてきたことを振り返ってみれば、
今後未来を切り拓く子どもたちには、夢を描くことの素晴らしさを伝えていかなくてはいけません。
子どもが限界なく夢を描いて、自由な発想を伸び伸びと広げていくことを、私たち大人はバックアップしていくべきです。
「お前ならできるよ」
「あなたならできる」
信じてあげてみてはどうでしょうか。
今後も皆さんのお役に立つ考え方や情報をアップしていきます。