勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
「甲子夜話」に出てくるこの言葉は、プロ野球の野村克也氏の座右の銘として有名です。
野球の勝ち負けでもそうでしょうが、
この言葉は、うまくいっているときには、なぜうまくいっているかわからないことがありますが、
うまくいかない事には必ず原因があるということを表したものです。
何かミスや敗北をしたときには、人は必ずショックを受けます。
しかし、ショックを受けたからと言って何もしなければ、また同じことを繰り返すことになります。
大切なのは、その次の行動ということになります。
私たちは「ミスをしてしまったな」と思ったら、
とにかくなぜそうなったのかを必死で考える必要があるのだと思います。
できないことをできるようにするのが学習
勉強というものも、実は「ミス」からスタートするものだと思います。
新しいことを学びマスターしていく際に、初めからスイスイとできることはまずありません。
やってみたができず、あれこれ試行錯誤していくうちにいつの間にかできるようになり、
さらに繰り返しているとそれが当たり前になっていく、
それが学習だと思います。
もし一度や二度間違っただけで、「失敗した」と思って前に進まなかったら、学習の成果が上がるということはありません。
生徒には「間違える権利」があるのです。
だから、たくさんの間違いをしても、その次にできれば失敗ではなく、それは成功です。
これを繰り返していくのならば、それは「成功の連続」ということになるでしょう。
「失敗は成功のもと」ではない
こうやって考えると、「失敗は成功のもと」ではありません。
エジソンが同じ内容のことを言っていますが、成功へ向かう途中での誤りは失敗ではなく「方法を試してみただけ」に過ぎないのだと思います。
だからそのことをあきらめるまで「失敗」は起こらないのです。
すべてが途中の試みならば、それを確認できたことはすでに1つの成功といえるのではないでしょうか。
簡単に言えば、「失敗は成功そのもの」ということです。
テストでのミスは挽回できる
受験自体は別として、およそ学校のテストで
1回のテストですべてが決まってしまうようなことは
ありません。
今の受験では、大学受験はそうでもないですが
高校受験に関しては、内申点という当日点と別の評価がついて回ります。
だから、何回かのテストである教科の得点が悪かったりすれば、評定点に影響が出ることもあります。
ただそれにしても1回ではなく、
また、実のところ中学校の先生の評価は
むしろ定期テスト以外にわりと重きを置いている傾向もあります。
だとすると、1回のテストで大きなミスしたことを
「失敗」と言うのは早計です。
すぐに原因を考えて対応をすればよいだけのことです。
「失敗」というものがあるとするならば
大きなミスが出ているのに
次のテストでも同じやり方をして
同じようなミスを繰り返してしまうこと
かも知れません。
それであっても、まだ対策はあるのですが・・・。
考え方を変えるだけ
このブログでは何度も書いてきましたが、この世界を認識しているのは自分です。
自分の考えていることが世界を創りあげているのだと思います。
「失敗した」と悔やんで立ち止まっていれば、
その人は「後悔して立ち止まっているだけの世界」の住人になります。
「必ずこれを成功につなげる」と思って誤りをばねにして、すぐに新しい工夫や努力に着手すれば、
その人は瞬時に
「誤りを成功につなげていく成功の可能性のある世界」に移住できます。
どちらが良いですか?
答えはお聞きするまでもありませんね。
今後も皆さまのお役に立つ考え方をアップしていきます。