【発想のヒント】決して結果を変えることのない「心配」の毎日

心配と危機管理の違い

 新型ウィルス問題

 中国の進出による紛争の危機の現実化

 消費税増税による生活への影響

 いつまでも終わらないデフレ経済

私たちを取り巻く環境は、日々厳しさを増し

かつてない先行き不透明な状況があります。

 ごく一部の人を除き、事の大小の差はあるとしても

今後に何も不安を感じないという人はいないのではないかと思います。

 また大人だけでなく子どもたちも

移動の自由が制限されて

本来の自由闊達な生活に制限がされ

色々な楽しみを奪われてしまっています。

 こんな日々の中では

多くの人がメンタルに影響を受けてしまう危険があります。

先へ向けて「心配事だらけ」という人も見えるかも知れません。

 でも「心配」と「危機管理」は違います。

本当に不安を解消できるのは適切な「危機管理」です。

「心配」ではありません。

心配事が事実になったとき、心配は消える

 何か心配事があるとき、人はそのことがはっきりする日まで悶々とした日を過ごします。

「こうなったらどうしよう」

「きっと上手くいかないに違いない」

 でも、それを悩んだところで結果は一つも変わりません。

結果を変えることができるのは「行動」でしかありません。

結果を変えたいならすぐ行動をすべきです。

そして、その行動をどうやればいいのかを合理的に考えるのが「危機管理」と言うことになります。

 もしも行動をしない、あるいは行動ができない場合、

結果が変わらない以上、心配をするのは全く無意味です。

 いや、無意味というよりも有害です。

「心配でやせ細る」

「心配で飯がのどを通らない」

などいろいろな表現があるように、

心配事というのは、結果がどうなるかというよりも、

心配で自分が害されてしまうこと自体が問題です。

 でもよく考えてみると

心配事は事実になった瞬間必ず消えてしまうものです。

「心配事は頭の中にしか存在しない」ものなのです。

 そうすると私たちは、

「悩んでもどうにもならないことを、延々と考えて」

「考えても結果が変わらないことを、ずっと考え続け」

「考えた挙句結果が起これば、それまで考えたことは意味なく消えていく」

 そんなことを繰り返しているということに気がつきます。

 もし、心配事にカーテンをしめて、

結果が出るその瞬間まで無心でいられたら

どんなにか心の平穏を保てることでしょうか。

感情的になって大変なのは自分だけ

 何か不快なことがあったとき、人はいつまでもそのことを胸に抱いてしまいがちです。

 忘れようとしても、何かのきっかけやその出来事を連想させる物事によって、

その感情を何回も何回も思い出してしまいます。

 不快な出来事というものは、他人と関わることのある生活をしていればどうしても起こります。

その多くは他人によって不意にもたらされますが

自分が起こすことではないので避けようがありません。

 でも、何回も何回も不快な感情を思い出しても、

その出来事の記憶はより強いものになっていくだけで、自分はどんどんつらくなります。

 言ってみれば、

嫌な思いを自分で増幅させているようなものです。

 何回思い出そうとも、不快の元になった出来事や他人は全く変わることはありません。

残念ながら、

「自分以外の物事は変えようとしても変えることができない」

というのがこの世界の真実のようです。

 そして私たちは、

「思い出しても変わることがないつらい感情を、毎日思い出し」

「自ら進んで、延々となぞるように不快な気持ちを味わい」

「思い出した挙句、その出来事も相手も結局全く何も変わらない」

ということを繰り返していると気づきます。

 もし不快な出来事の記憶を断ち切ってしまうことができれば、どんなにか心の平穏を保てることでしょう。

楽になるための方法

 では、どうしたら心配事にカーテンをかけたり

不快な出来事の記憶を断ち切ることができるのでしょうか。

煩悩の塊である私たちは、

それができそうでできません。

 ブッダの悟りの話を以前記事にしましたが、http://wizzseiun.com/2020/03/08/enlightenment/

その中で、

 物事はただ存在するだけであり、どんなことも「良いこと」「悪いこと」というような色付けはされていない。

それを人が観察をして価値判断をして「良いこと」「悪いこと」という反応をしてしまう。

このことがすべての問題の始まりということを書きました。

まさにこのときの私たちの断ち切れない気持ちが、これを示していると言っていいでしょう。

 だとすると、

「事実だけを見つめる」ということが結局一番の解決策だということになります。

心配事については、

「その時になるまでは、何も決まらない」

「決まってから、道を選択すればよい」

「今考えても結果は1ミリも変わらない」

ということを考え、

感情的になることについては、

「そんな風にしたのはきっと彼にも理由があってのことだから、結局これは自分の問題ではない」

「自分が左右できないことについて考えても無駄である」

というように考える

そんな考え方があなたを救ってくれると思います。

 すべての物事は客観的に存在するように見えて、実は主観の中に存在します。

悩みというものも悩みの最中にあると、実在する巨大なもののような気がしてしまうものですが、実は私たちの頭の中にしか存在しない主観的なものに過ぎません。

気持ちを切り替えれば一瞬で本当は消えてしまうものです。

 しかし私たちは、切り替えてそれを消してしまうことを、

なぜか恐れているか、

あるいは、消してしまうとなにかまずいことが起こると漠然と思っています。

 でも、気持ちを切り替えて

「はい、ここからは心配やめ」と切り替えたり、

「はい、今からは一生思い出さない」と言って消してしまっても、

誰も困りません。

自分を含めて誰一人困らないのです。

あなたはその瞬間、苦しみから解放されることは間違いありません。

目の前の事実だけを見て価値判断をしないというのは、

きっとそういうことなのに違いありません。

 私たちの苦しみを消す魔法のカギは、すべて私たちの「考え方」の中にあります。

難しいことのように思い込んでいるだけで

実は簡単に苦しみから去ることができる方法は、自分の中にあるのだと思います。

今後も皆さんのお役に立つ考え方をアップしていきます。

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