社会の受験対策には横断的学習が必須
高校受験が近づいてきたときに
「さあ社会の追い込みをかけよう」と考える場合
3年生で学習している公民はともかく
それ以外の地理や歴史については
受験まで学校では、正面から学習をする時間がないことに気がつくと思います。
それで、自分でもう一度確認をしていくということになるのですが
「さあ、歴史の過去問題を解いてみよう」
と思って、問題を初めて見た場合
ショックを受ける生徒もきっといると思います。
今まで「飛鳥時代がこうで、奈良時代にはこんな事があって」と学習を進めてきたのですが
入試問題では、1つの年表に旧石器時代から第二次大戦までのことが書いてあって、
「大塩平八郎が日本でこの乱を起こした頃、ヨーロッパで起こっていた事を選べ」とか
「織田信長が長篠の合戦に勝利したのは、年表のA~Dのうちどの時代にあたるのか」
とかいった内容の問題が出されていたりします。
「わからない」というのが正直な感想かもしれません。
どこの県の入試でも、学校では時代を順に学習して、横断的に全時代を対象に確認をするという時間はほぼ取らないのに
入試問題では、全時代が一気に聞かれたり
正面からは、学校では同時代史という形の授業はやっていないはずなのに、わかって当然という感じで、同時代史の問題が出題されるからです。
そうすると、自分で改めて全時代を見渡して学習をしたり
同時代史についても、その対策を独自に行わなくてはならないことになります。
塾ではもちろんやりますが、そういう手段がない場合は
意識してこれをやっていく必要があります。
今回はそういう横断的学習のヒントになる内容をお伝えしたいと思います。
幕府の比較が意外にできない
歴史で幕府について学びますが、
「幕府の名前をすべて言ってみなさい」
と質問しても、すべて言える生徒はなかなかいません。
答えは簡単です。
鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府です。
実はこの3つの幕府については、大変学習がやりやすいところだと私は思っています。
なぜかというと、きれいに比較できる内容がわりとたくさんあるからです。
以前の記事でも書きましたが、記憶をグループでひとかたまりのつながりにして覚えていく際には、対比しやすいものをグループにしていくということがかなり有効です。
3つの幕府の学習はまさにこれにぴったりと当てはまるのです。
幕府の仕組みは比較すると覚えやすい
幕府を興した人物である
源頼朝・足利尊氏・徳川家康
の比較などは当然ですが、
幕府の仕組み(政治体制)についても統治組織の図が3つの幕府について似た形で教科書などにも大抵掲載がされています。
学習の要領のよい生徒であれば、この3つの図を見比べて「しめた!覚えやすいぞ」と思うはずです。
この中でまず一番入試やテストで聞かれるのはもちろん、将軍の補佐役でしょう。
鎌倉から順に、「執権・管領・老中(大老)」ということになり、
これも比較がしやすいです。
もっとも、生徒にこれを3つ言わせても、上記の幕府名と同様、3つともスラスラと答えられる生徒は残念ながら少ないです。
冒頭でも書きましたが、
学校では順にゆっくりと学習していくので、大体3つの幕府を比較して見てみるという作業を生徒は行いません。
ほんの少しの手間で全然記憶しやすくなるのに、そういうことをやろうとしないというか、やると記憶が定着しやすいということを知らないのだと思います。
だから3つ並べて言えないのです。
理由を考えると細かい名前も覚えることができる
幕府の仕組みの中で、少しマイナーではありますが入試に出ることもある機関名として、なかなか覚えられないものがあります。
それは
「六波羅探題」「鎌倉府」「京都所司代」「大阪城代」などです。
どれも地名が入っていますが(六波羅は京都の地名)
何となくピント来ないのでしょう。
何回やっても覚えられないという生徒がいます。
しかしこれも3つの幕府を比較して、それぞれの設置された理由を考えると実に簡単に覚えることができます。
京都六波羅のスパイ機関
まず「六波羅探題」は鎌倉幕府の機関ですが
その目的は
京都で朝廷が承久の乱を起こしたのに懲りて、二度と朝廷が乱を起こさないように監視をするため設置されたものです。
生徒によく言うのですが
「探題」というのはいわゆるスパイです。
鎌倉幕府が遠く離れた京都の朝廷が勝手なことをしないように、「六波羅」にスパイを置いたものなのです。
鎌倉勢力の復活を防ぐ鎌倉府
次に「鎌倉府」は室町幕府の機関ですが、
その目的は六波羅探題とよく似ています。
室町幕府は鎌倉幕府と異なり、本拠地が京都になりましたので
京都から遠く離れた鎌倉で、鎌倉幕府の頃の力に持っていた勢力が復活して乱を起こしては困るため、監視と統制のために設置をしたものです。
豊臣家と外様大名の乱を防ぐ京都所司代・大阪城代
同様に「京都所司代」「大阪城代」は、
江戸幕府の時代に、
徳川家康が幕府を開く前に政権を有していた豊臣家が力を盛り返して、
外様大名となった旧来の豊臣家の家臣たちと結託して、幕府に反乱を起こすことを恐れて、
豊臣秀吉が築いた巨大な大阪城と、京都の朝廷と西国大名(外様)を監視するために設置した機関です。
このようにその時々の幕府が、それまで力を有していた勢力の反乱を遠い地から警戒して設置したことが分かれば、
地名も自然と覚えられますので、暗記をしようと意識しなくても頭に記憶が残ります。
さらにイメージとしては、
(実際には政治を仕切っていた補佐役がそう思っていたのだとは思いますが)
「将軍がどんなことを心配したのかな?」
ということを試験現場で考えれば、
記憶もよみがえりやすいのではないかと思います。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。