【自己評価】他人の評価に頼る限界とは?

自己評価の意義なんて…

 人が何かをやるとき

学校であれば先生による通知表

受験であれば受験校による合否判定

就職試験なら試験官の判断

仕事なら上司の評価

といったように

いつも他人の評価が基準としてついて回ります。

 だから人は自己評価というものに

あまり信頼を置かなかったり

「自分がどう思っても…」と考えたりしてしまいます。

でも、他人の評価だけを頼りに進むということには

限界があります。

幸福は主観の中にしか存在しない

「A君は勉強が良くできる」

「A君は有名校に合格した」

「A君は一流企業に入社した」

「A君は出世競争に勝った」

そういうものを追い求めるのも

確かに価値がありますが

仮に、これにこういう言葉が付け足されたらどうでしょうか?

「勉強ができると評価された」「でも僕は人気者ではなかった」

「有名校に合格した」「でも自分には合った学校ではなかった」

「一流企業に入社した」「でもこの仕事は自分に向いていない」

「出世競争に勝った」「でも友人を失ってしまった」

こういう風に感じていれば

A君は幸せとは言えないかも知れません。

「幸せというのは主観の中にしか存在しない」と言われていますが

何かを一生懸命にやるのは

一体何のためなのかということは

必ず考えておかないといけないのだと思います。

他人の評価は一つの判断基準でしかない

 大切なのは、他人の評価はあくまで一つの判断基準でしかないということに気づくということだと思います。

 たとえば

有名校に努力して合格したことは

自分が努力をしてきた成果が、客観的に評価されたとして喜ぶべきですが

その有名校に入ってからの人生を決めるのは

自分自身です。

そして自分の努力を振り返って

「ああ自分は頑張ったな。これからもこういうことを大切にしていこう」

と自分で考える事が大切なんだと思います。

 逆に、受験の合格という

単なる人生のある1日のペーパー試験の得点の判定結果を

他人の評価をアテにして

何か自分に与えられた特権のように感じてしまえば

その後に不幸がやって来る危険もあります。

 ちょっとした違いのようですが

自分で評価を自分で決める事と

他人に価値判断をしてもらう事とでは

大違いです。

自分の考えを持つこと

 私たちは誰もが

成功をしていきたいと思って

努力をしますが、

その成功と言うのは

客観的な目標達成だけでは

成し遂げられないということがあります。

 もともと自分のモチベーションがしっかりしていて

たとえば

「有名校に合格する」

「その後こういう事を学ぶ」

「卒業後はこういう事をして社会に貢献する」

というような

自分の考えがしっかりしている場合には

客観的な目標達成=自己実現ですので

主観的な成功でもあると言えるでしょう。

 でも

「とりあえず合格して」というような目標である場合には

その後の考え方次第で

その結果は成功にも失敗にもなるでしょう。

自分自身の「自己評価」と「自分の考え方」がきっと大切になります。

 変わりゆく社会の中で

今回こんな話を書いたのは

客観的に成功と思われる結果を出した人が

主観的にはそれを成功と感じられないで

辛さを感じているという話をたまに聞くことがあるからです。

「こんなはずじゃなかった」

周囲の人がうらやむような地位にいる人の中には

こんなことを思っている人が少なからずいます。

 社会は刻々と変わっていっています。

自分の現在について

「こんなことができてラッキー」という自己評価をして

はつらつとして学習をしたり仕事をしている人が

他人からも評価を受ける時代になりつつあると思います。

 学歴や経歴が輝かしくても

それが他人にプラスに働かない場合には

評価をしてもらえない

ある意味、適正評価が行われる時代がやってきていると思います。

 自分自身をしっかり見つめて

「何のために」この勉強をするのか

「何のために」この仕事をするのか

それを考えて前へ進むことは

今後より重要になって来るのだと思います。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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