【先入観】「できない」という嘘のイメージ

限界は自分が作る

 テストで最初から90点以上を取るのが当たり前のようなスタートを切ると

たまたま90点取れない場合には

「80点を取ってしまった。何とかしないと」という気持ちになります。

 これに対して

最初から50点も取れないスタートの場合

次も50点くらいでも

「まあいいか」という気持ちになってしまうかも知れません。

人間と言うのは良くも悪くも

環境順応性の高い生き物です。

 何回か同じような状況に置かれると

おそらく意識の中に

それを基準とした固定的な水準器のようなものが

出来てしまうのではないかと思います。

 限界は物理的なもののように皆思っていますが

実はかなりの部分が主観的なものであり

それを作っているのは

間違いなく自分自身だと思います。

 心理的障壁とは?

 こういうのはどうでしょうか?

「前回数学の得点が30点、その前が40点、さあ今度は何点取りたい?」

と言う時に

予想される答えは次の中でどれ?

ア 60点 イ 0点 ウ 90点 

 こんな選択肢なら、やはり選ばれるのは「ア」になってしまうことでしょう。

現実的な事かどうかとか

具体的な可能性とかそういう事を取り払って考えれば

40→30→90だってあり得るはずですが

人は普通そういう想定はしません。

この場合であれば

精々70点くらいまでに心理的な限界を置いてしまうというのが、一般的な所かも知れません。

 私たちは無意識に自分に限界を作っていると言っていいでしょう。

「出来ないことが急にできるようになる」とは思わない

 同じように、人は

「出来ないことが急にできるようになる」とは決して思いません。

「徐々にできるようになるかも知れない」とは思いますが

劇的にできるようになるとはなかなか思えないでしょう。

 その意識を持つのには、もちろん根拠があります。

「コツコツと積み上げていかないと学習は上手く行かない」とか

「努力の裏付けがあって初めて成功がある」といったものです。

 だから客観的には正しい事を思っているのですが

主観的な限界を想定するという事と

客観的な予測が同じでなくてはいけない訳ではありません。

 でも主観的に想定の枠を超えた目標や予測はなかなか生まれてはこないのです。

壁を自分自身で作っているからだと言えます。

壁を破って新しい何かを見よう

 そもそも何かを成し遂げようと努力をするときに

客観的な計画はもちろん必要で

それがなくては無謀なのですが

それとは別に主観的な部分で

高い目標や意識を持ってそれを行うのと

「まあこれくらい」と思うのでは

結果は違ってくることでしょう。

 壁を破ってその向こうにある新しい何かを見た時

リミッターがはずれて

努力がそのまま結果につながりやすくなるということがあるのではないかと思います。

 というのは

生徒の成績を見ていて、よく見かけるのですが

123位→123位→122位 

そして今回全然勉強をできていないので心配していたら

123位

こんな成績の流れになってしまっている生徒がいるのです。

 別に最下位付近で指定席のような順位ではなく

300人近く生徒がいるような中で

こんな不思議な順位の流れになることが

実際にはよくあるのです。

 最初は、覚えていなくて適当に書いているに違いないと思って

何回も確認をしたりしていましたが

こういう成績を取る生徒が1人だけではなく

時々いることに気づきました。

 この事実を見た時には

 これはやはり主観的な部分で、目に見えない壁を作ってしまっているということがあるのではないかと思わずにはいられないです。

 あくまでも私の考える仮説ですが

主観的にどうしても100位を切るという意識になり

その事を自然に思える位の確信を持つことができれば

この数字は動き出すのではないかと思います。

 たとえば

ハイジャンプで「2m以上を跳べる」と思っても

実際に跳べるとは限りませんが

跳べる可能性はあります。

 でも

「2m以上は跳べるはずがない」と思っている人が

2m以上跳べることは決してないのです。

 「できない」という

自分が作り上げただけの嘘のイメージを打ち破れば

新しい何かが見えてくるのかも知れません。

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