熟字訓
漢字の熟語と言うと
たとえば「帰国」という言葉であれば
「くにへかえる」というように
それぞれの単字(1つの漢字)単位で訓にして読む(意味を知る)ことができますが
そういう読み方ができない熟語があります。
これは「熟字訓」というもので
熟語全体で読み方を当てるため
単字に分けても意味がわからないものです。
簡単に言うと当て字っぽいのですが
当て字は、単に読み方を当てはめたもので
熟語全体で1つの読み方を当てる熟字訓とは少し違います。
たとえば、「小豆(あずき)」は熟字訓なので「小」を「あ」、「豆」を「ずき」とは読めません。
しかし当て字である「印度(インド)」の場合、「印」は「イン」、「度」は「ド」と読むことができます。
当て字は、読みと意味とが結びついていない読み方というだけなのです。
和語を熟語に当てはめた昔の人の気持ち
漢字は大陸から伝わってきたものですが
元々日本には「やまと言葉」、少しニュアンスは違いますが別の言い方をすると「和語」というものがありました。
漢字が微妙な意味を短い言葉の中で表せることに注目して、私たちの先祖はその「やまと言葉(和語)」に漢字を当てはめていきました。
多くはそのまま漢字1文字に1つの言葉(訓読み)と言うような形で当てはめができたのですが
複数の漢字を組み合わせた熟語の形でないと意味が伝わりにくい言葉があり
それが「熟字訓」として残ったようです。
だから熟字訓は、熟語全体で言葉のイメージを伝えるものが多く、味わい深いものになっています。
たとえば「五月雨」と書いて「さみだれ」。
旧暦の五月は、今の6月~7月にあたりますが
梅雨の曇天から雨がそぼ降る風景が、脳裏に浮かんでくるようです。
これを「ごがつあめ」と読んでは
何だか雰囲気が台無しな感じですね。
先人たちは、色々な思いを持ってこの言葉を使っていたのだろうなと思います。
漢字の楽しさは
そういう事をあれこれ考えながら
学ぶことにもあります。
「蒲公英が咲く田舎道を、土産を抱え家に帰る」
「タンポポが咲くいなか道を、みやげを抱え家に帰る」という書き方もいいですが
「蒲公英が咲く田舎道を、土産を抱え家に帰る」
こんな熟字訓を使った文も味があります。
そして
「どうしてタンポポが『蒲公英』なんだろう」とあれこれ考えるのも
また楽しいものです。
*タンポポの花をを開花前に乾燥させた漢方薬を「蒲公英(ほこうえい)」と言い、そこからこの漢字が当てられたようです。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。