【アリときりぎりす】今は目指せ「賢いきりぎりす」の時代

勤勉が必ず勝つわけではない

 皆さんご存知の「アリときりぎりす」は「イソップ寓話」の中の一つの物語です。

本来は「アリとセミ」という話だったようですが

夏の間コツコツ働いていたアリと、楽しく遊びまくっていたきりぎりすが冬になって飢えてしまうのを対比して、コツコツ勤勉に努力することの価値の高さを描いた作品だと言われています。

元々の話では、アリは飢えてしまって困っているきりぎりすを冷たくあしらったというストーリーでしたが、我が国での童話としては、最後は優しくアリがきりぎりすを助けてあげるというストーリーにされています。

 私の記憶では

前者(冷たくあしらうストーリー)の話を何かで読んだ時に

「かなり冷酷な話だな」と感じたのをおぼえているのですが

どうもそもそもが、勤勉と遊興という単純対比になっている点に

少し違和感のある物語ではあります。

というのは、

勤勉=正しい 

遊興=怠け者

という考え方が、もはや現代の価値観とは合っていないのかも知れないからです。

勤勉は良いことでありもちろん有益ですが、行き過ぎれば日々が楽しくなくなってしまうという側面もあります。

またこの話のアリのように排他的な集団になって、他の価値観を認めないという傾向が生じやすいかも知れません。

 遊興は「遊んでその日暮らし」という風に見れば、責任感がないダメな人と見ることもできますが

芸術家やクリエイティブな作品を残す人というものは、ただ勤勉なだけではダメで真に自由な発想が常に求められるので

そういう面から言えば、遊び心やゆとりというものも有益なのです。

クリエイティブな発案や発想は、勤勉の先にその結果として表れるものとは言い切れないからです。

今や「目指せ賢いきりぎりす」

AIが世界に広がりを見せ始めた現代では

人間の労力による仕事が、次第にAIによる仕事に移行し始めています。

言ってみれば、勤勉に何かを作ったり書いたり記録したりする作業は

機械が代行する時代が始まっています。

 そんな時代で人間に残されたものは何かと

改めて考えて見た時

クリエイティブなこと

芸術や美術

そして遊び

そういうものが残されていることに気が付きます。

 現実にも

毎日朝から深夜まで一生懸命労働をして得られる対価の数千倍の対価を

子どものユーチューバーが

そのアイディアだけで一瞬に稼いでしまうような

そんな世の中になっています。

そこでは、より多くの人々の役に立つ物事を提供できるかどうかということが

良くも悪くも価値判断の基準になっているのです。

 だとすると

これからの子どもたちは

一から積み重ねて努力をしていくということは、もちろん大切であるとしても

もう一つの視点として

人が考えた事のないような

新しくて世界の役に立つ何かを、常に考えていくという事が

大切になってくることは間違いありません。

怠け者ではない前向きな「賢いきりぎりす」を目指すことも

新しい一つの生き方として

求められ始めていると言えると思います。

 今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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