【情報リテラシー】あなたが得たのは「情報」ではなく「意見」かも知れません。

「報道」のような「意見」

 私たちは情報を受け取る時に

大体の場合、疑いなく

「ああ、そんな事があったのか」と思って受け取ります。

「ひょっとして虚偽の情報かも知れない」などと思って受け取ることは

なかなかありません。

「わざわざ人に誤情報を発表して何の得があるか」

と普通の感覚を持っている人々なら考えるからです。

 しかし少し前の時代と異なり、今や私たちが受け取る情報には

意図的に、誤った情報や誤って受け取る事を狙った情報が

色々な所で混入され始めているように思います。

 わかり易い言い方をすると

多くの情報が行き交うようになった現代では、

私たちが「情報」と思って受け取っているものは

実は、発信者の都合に合わせて編集された

「情報」に仮装された、発信者の「意見」であることがよくあります。

「切り取り」や「編集」によって真実は見えなくなる

 情報というものは、単独で存在するものではなく

他の要素と絡み合って1つの情報が構成されるのが普通です。

 たとえば

「記録を取り始めて以来、過去に例のない危険な数値が観測された」という報道を聞くと

何かとんでもない危険が迫って来るように感じます。

「一体どんな恐ろしい危険なのか」と考えてしまいますね。

ところが

記録を取り始めてから、わずか10年しか経っておらず

その記録を取る対象となる地域には

その10年間にほとんど危険な事が起こっていなかったらどうでしょうか。

言っている言葉自体にウソはないとしても

実際には大した危険ではないかもしれません。

 昨今の報道では、こういう類の表現は日常化しています。

少し注意して受け取らないと、不安だらけにさせられてしまいます。

 情報について「切り取り」や「編集」をする場合には、

よほど慎重に行わないと

発信者にとっての「言いたいこと」が知らず知らず混入してしまうものです。

これは本来は、発信者が十分注意をしなくてはいけない事だと思います。

情報を比較することで危険を回避する

 情報を受け取る場合に

こういう誇大な表現や紛らわしい情報によって

自分の判断を誤らないようにするためには、どうしたら良いのでしょうか。

 こういう時に、最も有効な対策となるものは

別の何かと「比較」をするという事です。

 ここで「比較」と言うのには2つの意味があります。

まず1つ目は

「過去の情報など、対照できる別の数値などと比べてみる」という意味の「比較」です。

 上記の例で言えば

報道されている数値と、以前の数値を具体的に比べてみるのです。

その地域の今回の「過去に例のない数値」と言われる数値が50だとして

過去10年間の数値を見ます。

確かに2~3とか5~8とかいう数値が並んでいたら

今回は特別に「過去に例のない数値」だという事になるでしょう。

 しかし本当に危険である数値が120とかであったらどうでしょうか。

今回たまたま50でも、そんなに危険ではないと一瞬でわかります。

具体的に「比較」することで判断を誤らずに済むのです。

 ただ、こういう劇的な言葉を使う報道に限って

比較する数値は伝えないことがとても多いので、少し手間ですが自分で調べて見る必要が出て来ると思います。

でも安心を手に入れられると思えば、大した手間ではないかも知れません。

 次に2つ目の意味は

「別の媒体からの情報も確認する」という意味の「比較」です。

 もっとも地上波マスコミや新聞同士だと

ほどんど似た表現をしているので「比較」にならないかも知れません。

 現に天候に関しての報道などは、情報の出所が気象庁という1つの情報ソースしかないので

そこが極端な表現を用いていれば(実際年々過激な表現になっている気がします)

なかなか自分で「真実はどうか」ということを判断することは、難しいかも知れないです。

 しかし、そういう特殊のものを除けば

ネット上の情報と従来のメディアでの情報は、明らかに違っていることが多いため

複数の媒体からの情報を得ることも、大きな意味があると思います。

 そしてこの違いは

残念なことに、年々大きくなってきています。

皆さんもお気づきかも知れませんが

オンラインとオフラインでの情報があまりに違い過ぎて、最近は驚くことが多くなってきています。

真実が1つしかない以上

その中のおそらく誰かが「情報」ではなく、「情報」に仮装した自分の「意見」を述べているから

こういう違いが起こるということは、はっきりしています。

全く大変な「情報化」社会になってしまったものです。

 しかし、こんな時代だからこそ

それを見抜くのは他人ではなく

自分自身の目であるということを

改めて考えなくてはならないのではないでしょうか。

ファクトチェックをする機関も現れてきていますが

その機関自体がむしろ「意見」を持って発信しているという話も聞かれます。

だから自分で判断する「目」を持つことがとても重要なのです。

 そうでないと、真実を偽装した発信者の「意見」のままに

私たち全員が動かされてしまうということも容易に起こり得ます。

いや、すでに現に起こっていると言ってもいいでしょう。

 情報リテラシーをしっかり持つということは

今や教科書に出て来るだけの他人事ではなく、自分を守る重要な手段になっているのです。

 これからの時代を生き抜くために不可欠の「情報を正確に受け取る力」をぜひ身に着けたいですね。

 今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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