常識のような気がしていた
私は、テレビの黎明期に子ども時代を過ごし
情報源はすべてテレビと新聞という、昭和を生きてきた人間ですので
ある時期までは
「テレビで言っている事」が私の「常識」のすべての基準になっていました。
今思うと、かなり愚かな話だったのですが
恐らく日本中、いや世界中の人間が
ある時期まではメディアの全能性を信じていたのだと思います。
具体的な内容は、政治的な意味合いを含んでしまい、このブログの趣旨から外れるので触れませんが
インターネットが発達して情報源が多様化した後
自分がテレビを通して見ていた世界は、現実の世界とは大変違っていたと感じる事が多くありました。
常識を決めるのは誰?
人は何かを決断する時に
「自分の考えは偏っていないだろうか」と
心配になることがあります。
そんなときふと「常識的にはどうなんだろう?」と
問いかけをしたりしますね。
大体の事は周りの年長者などに相談して決めたりしますが
それでも決まらない場合に
メディアがその決断に影響を与えていた割合と言うのは
実はかなり高かったのではないかと思います。
人によっては現在もそうかも知れません。
暴走族全盛時代
私が高校生の頃は、いわゆる暴走族の全盛時代でした。
テレビでは暴走族をテーマにしたドラマや映画がさかんに放映され
毎日のように、暴走族の特集や
暴走族上がりのタレントの話などが取り上げられていました。
自分の周りにも感化された友人がたくさんいましたし
あちこちで改造したバイクや自動車の暴走が見られました。
その当時私たち高校生が実際に感じていたことを、正直に言えば
「暴走族はヒーロー的に取り扱われている」
「真面目にコツコツ勉強している生徒は、根暗と言って馬鹿にされる」
という印象でした。
だから今では笑い話ですが、
自分を「どれだけ不良に見せるか」を競い合っているような仲間もいました。
そんな時代でした。
確かにメディアでは、建前的には暴走族を社会に害悪な存在として取り扱っていたのですが、
実際に映像化されたものや、暴走族のメンバーが主人公のドラマや、
教師に暴力を振るう場面が、当たり前のように登場する映画などを見ていれば
そのように感じるのがむしろ普通だったと思います。
「暴走族は悪いけれども、かっこいい」
「あんなことをしているのは社会のせい」
というような主張が随所で暗示されていたように記憶しています。
だからそれが当時
若者の多くが抱いていた「常識」だったのだと思います。
まさにメディアの影響恐るべしです。
その後、暴走族の行動が激化するに沿って
次第に興味本位の取り上げ方から、処罰を求める内容に変化して行きブームは去りました。
各地で暴走族が解散となり、それをメディアはドラマ仕立てで伝え、
暴走族の憧れの的であったミュージシャンたちも解散しました。
そしてブームが去ってみると、あれは一体何だったのかという感じだけが残ったのです。
それまでは、学校の窓ガラスが夜粉々に割られるという事件が、各地で続々と続いていましたが
ある時を境にピタッとなくなりました。
メディアの提供する「常識」が変わったのです。
世間の常識は正しいとは限らない
ここで伝えたい事は1つです。
世間で「常識」のようにとらえられている物事が
必ずしも正しいとは限らないということです。
たとえば、地域に根差して生活してきた人々が
長年の経験に基づいて培ってきた常識は、信頼に足ることが多いと思いますが
特定の考え方や利益を志向した集団に加入している場合、それが一般企業であっても、
その中での常識が、普遍的な観点からは非常識であることも時にあります。
ましてや、営利を追求するメディアの伝える常識については
二重にも三重にも
その信ぴょう性を疑うというのが
基本姿勢でなくてはいけないと思います。
長年テレビをずっと信頼し続けてきた私が言うのですから
間違いはありません。
吟味しないで「常識」もどきを信じて行動すると
あとで後悔してしまうこともあります。
そんな時は、自分自身の考えを拠り所にするべきであると思います。
客観的に一歩引いた目で
「どう行動すべきか」
それを冷静に考えることができれば
むしろその方が普遍的な「常識」に合致している事の方が多いのではないかと思います。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。