【思考の壁】「朝日は希望、夕日は哀愁」それって本当ですか?

「朝日からは希望が感じられ、夕日は哀愁を感じさせる」

 私たちは日々いろいろなことを考えますが

考えているようでいて

型にはまったイメージ優先の思考をしていることがあります。

 たとえば

「朝日からは希望が感じられ、夕日は哀愁を感じさせる」という考えについて

どう思われますか。

 もちろん一般的な感じ方であるかと思いますが

よく考えてみると

夜勤の仕事を終えて朝日を見て帰宅する人にとっては

朝日は哀愁なのかも知れませんし

夕日は仕事に向かう時の元気の象徴なのかもしれません。

 みんなが同じではないのです。

そうでなくても、人の感じ方は色々です。

同じイメージを持つということを当然のものとする考え方を

いつも続けていると

次第に「思考の壁」ができてしまうように思います。

「子どもは元気で明るい」という偽りのイメージ

 では、これはどうでしょうか。

「子どもというのはいつも元気で明るくていいなあ」

というイメージは、現実に合っていますか?

 私は、現実とはかけ離れたものであると思います。

それはむしろ、

「そうあってほしい」という願望に近いのではないかと考えています。

 子どもを取り巻く環境は大人よりも過酷な場合があります。

閉鎖的な学校という空間に閉じ込められているので

人間関係を一つ誤ると

大変な目にあうこともあります。

 私が第三者として見てきた感想として言わせてもらえば

ほとんどの場合、学校の先生は何も助けてくれません。

 友達に嫌なことを言われて

悶々としていると

元気な教師がやってきて

「おい、何を暗い顔をしている、元気にやれよ。はっはっは」というような

的外れな元気づけをしてくる

そんな感じなのです。

 子どもは大人よりもずっと複雑な感情の機微の中で生きています。

いつも身近に生徒を見ていて、本当にそう思います。

「子どもは元気で明るい」

という偽りのイメージを基本に教育を行うことは

「おとなしい」「堂々と発言できない」「繊細である」という感性や姿勢を

常にマイナスのものとして捉える原因となり

ひいては、いじめなどの発生する温床になるものであると思います。

いろんな考え方や感性があってよいのです。

 世の中で今、大成功を収めている人たちの多くが

学生時代には、むしろ「元気で明るいタイプ」ではなく

「変わっている」人として、まわりから迫害を受けていたタイプであることを見るにつけ

 学校にとって

このようなステレオタイプの思考を排除することが

今後とても重要になるのではないかと考えています。

「こうは考えられないだろうか」

 私たちの思考の柔軟性を奪うものは、誤った先入観です。

自分の希望と現実を混同してはいけません。

「朝日に希望を見出したい」も

「子どもには元気で明るくいてほしい」も

一つの願望に過ぎません。

 それはそれで大切なことではありますが

「こうは考えられないだろうか」と思って

一度別ルートを模索してみることをお勧めします。

「夕日に希望を見出す人々」や

「繊細で暗いけど高いポテンシャルを秘めた子ども」

についても一度考えてみてください。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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