【モチベーション】二宮金次郎はなぜ歩いて本を読んだのか?

 二宮尊徳 : 江戸時代後期の農政家で、小田原藩をはじめとして数多くの地域で荒れ果てたした農村を立て直し、農村が立ち行くためのアドバイスや施策を行い貧困で苦しむたくさんの人々を苦境から救った。幼名は二宮金次郎。大正・昭和の頃には、全国の小学校に二宮金次郎の銅像が多く設置された。薪を背負って本を読む銅像が有名。

 なかなか子どもが勉強をしなくて、つい何回も

「勉強しなさい」

「宿題は終わったの」

と言ってしまう保護者の方もいるようです。

お気持ちはごもっともです。

子どもを一人前に育てることは本当に難しく、毎日試行錯誤の連続ですね。

 しかし、心理学的にも「勉強しなさい」と繰り返し言っても

それで勉強を能動的にやれる生徒は少ないと思います。

 ではどうすればいいのでしょうか?

 私は学習をしたいという心が勉強にとって一番重要なものだと考えています。

勉強をやりたいという気持ちが強ければ、人はどのような状況でも勉強をするものです。

二宮尊徳(金次郎)は、油がもったいないので夜本を読むのを禁じられ、

本を読みたくてもその時間がなく、昼間仕事をしながら本を読むことを考えました。

それが冒頭の、薪を背負って本を読むというスタイルなのです。

 いかに金次郎であれど、

本はいっぱい買ってもらえる上に、クーラーの効いた部屋で

本よりもっと魅力のあるゲームが自由にできる環境だったら、

本を一生懸命読まなかったかもしれません。

環境が人を作るのです。

勉強をしないのは、勉強をする必要がないと思っているのではなく

勉強をするよりも周りに心地のよいことがいっぱいあるから、そちらに流れてしまっているのでしょう。

勉強をしたいという心がゲームしたいという心に量的に負けてしまうということでしょうか。

では逆に、勉強を禁止したら勉強をやるようになるでしょうか?

今の時代の環境ではそれも難しいと思います。

おそらく、もっとやりたい他のことをやってしまうでしょう。

何より大切なのは、子ども本人の「学習に向けてのモチベーション」ではないかと思います。

 そして、その際に一番注意しないといけないことは、

子どもも逆に親をよく見ているということです。

 スマホを延々といじっていて、お菓子を食べながら

子どもに「本ぐらい読めよ」というのと、

自分が本を読んでいて、子供に「あなたも本読みなさい。面白いわよ」というのでは全然違いますね。

環境と言うのは、保護者の日常の行動を含めての環境なのです。

追記

最近、二宮金次郎の銅像が「本を読んで歩くのは危険」「スマホを見ながら歩くのを助長する」とのことで撤去されたり、座っている銅像に変えられたりしているそうです。

趣旨はわかりますが、撤去しなくても学校の先生が説明すれば済むことなんじゃないですかね。

そんなに子どもはバカじゃないと思うんですが…。 

座らされた金次郎はどう思っているんでしょう。


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