【坂本龍馬の思考】たった1人の「考え方」から世界は変わり始める

人生を変えるもの

心が変われば、態度が変わる。

態度が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、運命が変わる。

運命が変われば、人生が変わる。

アメリカの心理学者で哲学者のウィリアム・ジェームズの言葉とも言われている有名な言葉です。

 大変印象に残る言葉で

各界の著名人にもこの言葉を引用している人がいます。

 メインになる部分は

習慣を変えていくことが、やがて人生を変えていくことにつながるという部分だと思いますが

 私は、むしろスタート部分の「心が変われば」というところがポイントだ考えています。

ここで「心」と言っていますが、これは広く「考え方」のことを指しているように思います。

 自分が「こうしていこう」という「考え方」を最初にしっかり持てば、態度や行動は次第に変わっていき

 やがて習慣となれば、人生自体も大きく変えられるということではないでしょうか。

 言ってみれば

自分を取りまく世界を変えるのは

自分自身の「考え方」であるということになります。

結果や目の前の事象に左右されない

 学習や仕事においては

どうしても目の前に次々と新しい状況や結果が出てきます。

それについて対応をしていくことに自分の力を奪われて、毎日が過ぎ去っていきますが

 そういうルーティーンの先に自動的に夢の未来が来るとは限りません。

確固とした夢を見ること

遠い未来を展望すること

「こういう風にしたい」と思うこと

「私が世の中を変えていく」という使命感

「人々の役に立ちたい」という想い

そんな目標とするところの考えがあるのとないのとでは、

先々で大きな違いが生まれてくることでしょう。

坂本龍馬の功績

 幕末の英雄坂本龍馬は

子どもの頃、土佐藩の武士には上士と下士がいるのを不思議に思います。

 坂本龍馬の家は下士の中でも郷士と呼ばれる身分で、上士から差別をされることもかなりあったようです。

 これは関ヶ原の合戦で敗れた長宋我部氏の子孫が、関ヶ原の勝者として乗り込んできた山内一豊氏の一族の支配を受けるという構図から生まれた、土佐に独特の身分制度です。

他の藩よりも身分差別は過酷であったようです。

 平明な眼をもつ龍馬は、こうした世の中の仕組みに疑問を持ちますが、

自分はとびきり臆病であることを知っていたので、なかなか最初は自信が持てませんでした。

ところが剣道を学ぶうち、少しずつ自分に自信を持ち始めます。

その中で他人に対する思いやりの大切さというものも知っていきます。

 これは想像になりますが、土佐の特殊な身分制度の下に置かれた龍馬は

「広く多くの人が互いを認め合い尊重できる世の中というものがなぜ実現しないのか」ということを真剣に考えたのではないでしょうか。

 そして皆が差別などを受けることなく、幸せに楽しく暮らせる世の中を創るにはどうすれば良いかを、たった1人でも考えていこうと龍馬は動き出すのです。

 龍馬の家が商家(才谷屋)とつながりのある家であったことから、武士と異なる視点を持っていたとも言われていますが、

いずれにしても、徒党を組まず自分の頭で考え抜こうとしていたことは間違いがありません。

「世の人は我を何とも言わば言え 。我なす事は我のみぞ知る」

という龍馬の有名な言葉などからも、それがわかります。

 やがてこういう幼少期から青年期にかけて育まれてきた、彼の他人と違うオリジナルな、しかし平明な「考え方」というものが、次第に周りの人間を動かし

「薩長同盟」の仲介(実現の立役者となる)

「海援隊」による先進的な貿易と倒幕行動

「亀山市中」という日本最初の株式会社の設立

「大政奉還」の発案と実質的な遂行への活動

五箇条の御誓文や議会設立の元になったともいわれる「船中八策」の創案

等々

ほとんど1人で明治維新を実現するために最も重要なことを創案・企画して

実際にすべてを成し遂げてしまいます。

 もし我が国に坂本龍馬がいなければ

幕末のまま国内戦争は長く続き

日本は早期に欧米列強の植民地になっていたはずです。

 今日本人がロシア語や英語を母国語にしていないのは

坂本龍馬のおかげだと私は考えています。

 では土佐藩の郷士に生まれた龍馬が、一人でそんな大きな功績を残せたのはなぜでしょうか。

それは、彼の平明な先入観を持たない考え方があったからです。

「こうに違いない」

「これはこう決まっている」

というようなことを一切思わず

常にゼロベースから考えるという力が彼にはあったのだと思います。

 「考え方」というと

頭の中にある主観に過ぎず

小さなことと思いがちですが

 実は違うのだと思います。

 自然を除いて、この世の中のほとんどのものは

誰かが考えたことや

誰かが考えた物によって

構成され、動いています。

 また、これまで自分を創ってきたものも

多くは自分の「考え方」です。

野菜が嫌いで食べようとしなかったので、ビタミン不足になった。

数学が大好きで計算ばかりしていたら、いつの間にか数学が得意になった。

走ることに自信があって毎日走っていたので、他人より速くなった。

理不尽な世の中を変えようと思っていたら、世の中を変えることを考える仲間が周りに集まってきた。

不満ばかりを言っていたら、なぜか不愉快なことばかり起こる。

暇なときに「お互い様だよ」と言って他人の手伝いをしてあげていたら、本当に困った時に周りが皆で助けてくれた。

振り返ってみると

私たちの人生は、思っている以上に自分の「考えたこと」の通りの人生になっているような気がします。

以前、世界は自分が創造しているという話を書きましたが、自分の「考え方」が世界を創りだしている部分は間違いなくあるのです。

 たしかに立派な「考え方」があったとしても、冒頭の言葉のように

それですぐ人生が変わるわけではありません。

行動や習慣も変わって行かなくては変化は起きません。

 しかし

まず初めにベースとなる「考え方」がなければ、

何かがスタートすること自体がありません。

 だから期待以上に人生が変わる可能性は低いと言って良いかも知れません。

 私たちは自分の行き先を、自分の「考え方」という羅針盤で決めて進んでいきます。

行動をする前提としてまず

「どう生きていくのか」

「何を達成していくべきなのか」

考えをしっかり持つことが重要なのだと思います。

 子どもたちを指導していると

以前に比べて賢く大人っぽい生徒は増えましたが

「安全な人生を送る」

この命題にとらわれてしまい過ぎて

自分がこの先「何をしていきたいのか」という「考え方」というよりも

「いかに大過なく過ごしていくか」という目の前の問題に、多く目が行ってしまっているような気もします。

 もちろん危険なことなどないほうが良いに決まっています。

 でも、まず最初に「考え方」をしっかり構築して

その後で安全な方法を考えていくのが正しい順序です。

 安全な道を決めて、それから具体的な「考え方」をしていくのでは、順番が逆だと思います。

そのやり方では遠くまで行くことは決してできません。

 これからの世界は、大変なことが多いのかもしれません。

今現在も、大きな不合理や特定の人たちによる専横が、これまでにはなかった規模で生じています。

 しかし考えて見ると、江戸時代の坂本龍馬を取り巻く環境を思えば、現代の不公平などはたかが知れたものです。

簡単に命を奪われたりはしないのですから。

 問題は人々が、「こんなものか」と思って

唯々諾々と不合理なことに従ってしまっている事にあるかも知れません。

 何が不合理で何が不公平かは

それぞれの胸にある考え次第ではありますが

「世の中を変えていこう」「人々が幸せに暮らせるようにしよう」という

大きな目標を持って進めば、やがて大きな力になることは間違いがありません。

自分が正しいと思う事を、現在の主流になっている考え方や世論と異なっていても主張していく事を

必要以上に恐れていてはいけません。

 未来を生きる若者には、

色んな事に疑問を持ち、自分自身の頭で考える習慣を持ち、

しっかりとした理念に基づく考えを持ってすべてをスタートしてほしいと思っています。

今後も皆さんのお役にたつ情報をアップしていきます。

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