【同調圧力】「正論を言えない」コミュニティーの掟に追いつめられる日本人

自分の主張を殺す日本人

 昨今の一連の社会的な騒動を見ていて

日本人の同調圧力というものが

これほど悪く作用したのは

第二次大戦以来であると感じています。

 「同調圧力」と言うのは、 地域や職場・学校などの部分社会において合意が形成されるときに、少数意見を持つ者に、暗黙のうちに多数派に意見を合わせるように誘導する目に見えない力のことですが、

 実は問題なのは、そのような圧力そのものではなく、圧力があると自ら想定してしまって、自分の主張(少数意見)を表明することすら控えてしまう(忖度・そんたくする)日本人の国民性にあります。 

なぜこのような社会的習性が、強く日本人に表れてきたかについては

いろいろ研究がされているようですが

 一つには、島国であって欧米のような「食うか食われるか」というタイプの絶対王政的権力による強い支配を受けなかったことが挙げられると思います。

「おらが殿様は民の事を思ってくださる」

「政(まつりごと)は民衆のことを思って行うのが良い」

というような支配者と被支配者の間での

良い意味での協調を良しとする理念が歴史的に存在していて

「和」を重く見る風潮が強くなってきたのだと思います。

 しかしそこでは、自分の意見を「場の空気」も考えずに堂々と主張する者は

たとえ正しいことを言っていても、異端として扱われ

社会の成員として、低く見られたり村八分にされたりしてきたという歴史があります。

切腹・特攻隊の悲劇

 このような事からわが国では、

個人の感情や事情を押し殺して

周りの社会を優先する考え方が良しとされてきたのは事実です。

 昔有る外国人が、日本の事を以下のように語ったと言われています。

これを良いことと考えるのか、それとも悪いこととして考えるのかは

考えがわかれるところです。

「この国では、刑罰は必要がない

『お前は悪いことをした。家に帰って死ね』と言えば

誰もがそれに従い、作法にのっとって名誉の死を遂げる。

逃げだすものはいない」

 司馬遼太郎氏の著作の中に出てくる言葉だと記憶しています(細部は異なると思います)が

まさに日本の社会の姿を的確に表していると思います。

「社会の成員としての資格を失うことが、自分個人の死よりも重大な恐怖である」というのが

実に驚くべきことだといえるでしょう。

 また太平洋戦争末期に

戦闘機ごと敵の艦船に突っ込み自爆をする「特攻隊」というものがありました。

これは、少なくとも愛する祖国を守るための行動であり

故人となった方々のおかげで今の日本があるので

批判は最小限でなくてはいけないと思いますが

 特攻を命じられても、誰も逃げださなかったということが

日本人の特性を良く示すものだと思います。

おそらく日本人以外の人であれば、ほとんどの人は逃げ出すでしょう。

銃を突きつけられていた訳ではないのです。

であるのに、自分の意思で飛び立ったということが、驚嘆すべきことです。

同調圧力の向こう側

 同調圧力は、我が国が対外的に競争する時代には

集団の力を高め、団結をして邁進していくのに大きな役割を果たしました。

そういうプラスの側面ももちろんあります。

 しかし、これからの未来においてはどうでしょうか。

もはや同調圧力で集団の力を上げなくてはいけないという局面ではありません。

 また同調圧力に負けて、個人が言いたいことを言えず、場合によっては

身体や命の危険を負うような事態が起こるとしたら

それは何としても防止しなくてはなりません。

いつまでも自分を犠牲にしてまで、「場の空気」を守っていくべきではありません。

その「場」が、あなたに何か特別な保護と安心を与えてくれるのであれば

まだ合理性はあるでしょう。

しかし残念ながら、今の社会にそのような仕組みはないようです。

 上記のような切腹をした武士は

そうやって責任を負うかわりに

自分自身の名誉と、家や家族の安泰を約束してもらうことができました。

命にはとても代えられませんが、それでも代替的な利益がなかったわけではありません。

しかしながら

今の社会や世の中をよく観察して見ると

「同調圧力に日本人は弱い」という性質を上手く利用して

次々に無理難題を飲み込ませるように、運営がされているように思えます。

私の杞憂であればよいのですが

「黙っていると良くしてくれる」という神話は、もう終わっていて

「黙っているならもっと圧力をかける」という為政者のつぶやきが

聞こえてくるような気がしてなりません。

現代では不利益な措置には対策がある

 同調圧力に負けて

職場で仕事を失うことを恐れ

地域社会で追いつめられる事を恐れて

自分が明らかに不利益になることでも、「イエス」と言って同調をしてしまう人が

今後もたくさん生じてくるかも知れません。

それが身体や生命に関わることでもです。

 しかし昔と違って

現代では、私たちは憲法の下で人権を保障されています。

昔とは、そこがはっきり違います。

確かに、日本に暮らしていると

「裁判に訴えるなんて何て不人情な」という感覚が昔からあります。

しかし、それで皆が和を重視して

穏便に解決していこうとするのを逆に悪用して

同調を強いてくる場合には

堂々と法律による保護を申し立てれば良いのです。

 そんな状況の時には「場」を見出しているのはあなたではなく、相手の方なのです。

 だから恐れすぎて

正しいことまでも言えなくなってしまうようなことだけは

避けるべきではないでしょうか。

今後も皆さんのお役にたつ情報をアップしていきます。

     

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA