重要な事を報じない
近年マスメディアというものが大きく変わってしまい
私たちにとっても、情報を得る上での不都合が多々生じて来ています。
もっとも典型的な問題は
「報道しない自由」の問題です。
テレビにしても新聞にしても、報道に使用できる時間やスペースは有限なので
私人である報道機関には、報道すべき内容を取捨選択する自由があり
たまたま報道されないことがあっても
それは仕方ないという考え方です。
もちろんこの考え方自体には異論がありませんが、
実際の運用には、大きな問題が生じています
例えばAという病気の危険を必要以上にあおる報道を行う一方、
安全性に触れた情報や、病気自体が虚構かも知れないという情報については、官公庁の正式文書や論文があっても報道しないというのは、明らかにバランスを欠いています。
あるいは、Bという薬について、素晴らしい効果があると報道するならば
それについての危険についても、十分に報じる必要がありますが、
薬の説明書にさえ書いてある危険について報道しないというのは、非常に良くないやり方です。
私人であっても、たとえばテレビであれば公共の電波を用いるため、人々は公共の福祉に合致した内容だと信じてしまいます。
そのため放送法4条により放送番組編集は、政治的に公平で事実を曲げてはいけないとしつつ、
意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにするように定められています。
一方向の考え方のみ示す、あるいは偏った割合で示すという事は、
報道の基本的ルール違反として、本来は絶対にしてはならないものなのです。
報道されない事はないのと同じになる
メディアを動かす運営主体が、伝達媒体を独占している現代では
もしメディアが報道を故意にしない事柄があると、
その事柄は世の中に知られる術を失い
なかったのと同じことになってしまう危険があります。
映画ではそういうストーリーのものがありますが、
現在のメディアの報道姿勢を見ていると
それはもはや、現実の事になってしまったようです。
自ら主体的にWEB上で情報を集める
ではそんな時代に、私たちはどうやって
正しい情報を得て、身を守っていったら良いのかという事になりますが
テレビや新聞を盲信せずに
WEB上などで自分から主体的に情報を集めるという事が
極めて重要ではないかと思います。
幸いな事に、以前よりは情報の制限がかけられて来ているものの
まだWEB上には、さまざまな情報が流れています。
だから、その気になればいつでも、メディアと反対の内容の情報を見ることができます。
ここで重要なのは、
双方の情報をしっかり集めた後、自分自身で、どちらが正しいのかを判断するという事です。
結局は、自分で考えるという事になります。
これまではほとんどの人が、「テレビや新聞は絶対」と信じて
疑う事をして来ませんでしたが
むしろそれが異常だったのかも知れません。
真実かどうかは複数の情報を見た上で、いつでも自分で判断していくようにしたいですね。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。