任侠映画
私が子どもの頃は、戦後直後の荒廃期から高度経済成長へと時代が移り
これから無限の夢が実現していくのではないかと、多くの人が感じていた時代でした。
その頃テレビでも映画館でも、大いに流行っていたのが任侠物の映画でした。
俗に言うやくざ映画ではありますが、「仁義を重んじる男の世界」を描いていると称して妙に暴力団の事をクローズアップする、そんな作品が連日流されていました。
日本を代表する名優高倉健の名演技なども、その頃よく話題になりました。もちろん私もファンでした。
しかし私は子どもでしたので、「世の中って何て恐ろしい所なんだろう」と思ったものです。
そしてこういった映画の影響もあってか、やくざっぽい格好をした人を当時は街でもよく見かけた気がします。
テレビではその後も、ずっと暴力団の抗争などを描いた作品などを流し続けていましたが、
私は、そういう社会の裏は現実にはあるにしても(実際抗争事件のニュースはよく報道されていました)
「そんなにクローズアップして、メディアで取り上げる必要のあることなのかな」といつも疑問に思っていました。
子どもながらに「視聴率がいいんだろうな」と思っていました。
その後やがてそういう任侠物が姿を消すと、今度は暴走族ブームが来ました。
メディアでは連日暴走族のチームの名前やら、トップ(頭)のプロフィールを流していました。
街には暴走族らしき人たちが増えて来ました。
こういった社会の様子を見ていて、私が気づいたことは
「社会の風潮があって、それをメディアが報じているのではなく
メディアが報じていることが、社会の風潮になっている」
という事実です。
事の大小はありますが、現代社会ではメディアが世の中の動きを創り出していることは間違いないところだと思います。
社会的権力というもの
憲法を学習したときに
「社会的権力」というものについて学びました。
そこで想定されていたのは、マスメディアでしたが
メディアはあくまで私人であるから、結社の自由によりその行動が保証され
しかも公権力である国家に対して、国民の為に対峙する存在であるから
事実上の社会的権力を有するに至っているにしても
「憲法上最大限表現の自由に基づく配慮が必要である」というような考え方が示されていたように思います。
当時の私は法律という文面からしか世の中を見ていなかったのかもしれません。この考え方に大いに納得をしたものでした。
しかし時を経て、振り返って見ると
こんな甘い考えをしていると、人々の権利は社会権力を有している者にいいように扱われて、社会的権力者の意のままの社会が出来上がってしまうということに気が付きました。
なぜなら、マスメディアを私人ととらえている限り、これを強く縛る力が国家権力や憲法でさえも十分に与えられていないからです。
どんなに嘘を流そうとも、どんなに人権侵害をしようとも
「国家権力に対する正義の力」を標榜する限り、彼らが批判の舞台に実際に立つことはありません。
テレビなどを見ているだけの人たちは、常に「政治家の〇〇はひどい」「今の政府はダメ」「私たちのスクープでこんな真実が分かった」というような報道を目にして
「テレビの言っていることは正しいに決まっている」
と信じてしまっていますが
「切り取りの報道」「反対利益の隠蔽」「ねつ造や報道しない自由」などを駆使すれば、真実とかけ離れた報道などは容易にできます。
すべてがそうと言っているわけではもちろんありませんが
メディアを妄信するのは大変危険だと思います。
彼らは今や社会を簡単に動かすことができる権力者であり、さらに誰からも制約を受けない存在だからです。
昨今の世の中の動きを見るに、政治家のほとんどはメディアの動向を強く気にして行動をしています。
時にはメディアを背景に実力を得ている地方政治家に
「国民はこういう事を望んでいる」と断言されて
実際には民意とかけ離れた政策が、国の政策になってしまったりしています。
「もはやだれが権力者か」という事態になっています。
もちろん主権者は国民なのですが、その国民に政治を付託された国家権力が、一つの社会的権力に過ぎないメディアの言いなりになってしまっているのが、現在の政治構造だと言えます。
言論のプラットフォームもなくなりつつある
私たち国民は、社会的権力者の意のままに政治決定がされてしまうのを避けなくてはいけませんが
まず選挙については投票率が極めて低くなり、さらに利益団体が力を持ち過ぎて、なかなか難しい事態が続いています。
そこで登場したのが、自由な言論市場としてのSNSでした。
そこでは人々が自由に言いたいことを主張して、さらにあらゆる情報を手にすることが出来るとして、素晴らしい機能を発揮するかと思われてきました。
ところがご存知のように、各SNSに巨大資本の力が及びプラットフォームとしての機能を急速に失いつつあります。
これらもメディアと同じように思想を持つ社会権力者になりつつあります。
それに対抗して最近は新しいプラットフォームに徹するSNSが登場し始めていますが、まだまだ普及には程遠い状況です。
自分自身の目で正しい情報を判断する
このような社会情勢の中で
私たちは、メディアやSNSの主流となる情報をそのままうのみするのではなく
①自分自身で情報を主体的に取得して
②テレビに登場する誰かの意見ではなく、自分自身の考えをしっかり持つ。
この2点は、これまで以上にとても重要になってきていると感じます。
幸い偏りがあるとしても、情報源は今や無数にあります。
テレビなどのメディア以外のインターネットを介した情報は、無限と言っていいほど随所で得ることができます。
ポイントとなるのは、そう言ったネット上の情報を得る際に
「自分から検索をする」という事です。
検索をしないと、メディアよりの情報をそのまま読まされるように設定がされているので、ネット上の情報はメディアの情報と同じ内容になってしまいます。
たとえば
「A薬品」という情報をただSNSのトピックスで見ていると、それはテレビで見ているのと同じになってしまいますが
「A薬品 危険」と検索すれば、反対方向に情報がたくさん出てきます。
それを自分の頭で判断するのです。
ただ最近はSNS以外のブラウザ上の直接の検索では、
上位に来るものがそういうマイナス情報を含まないものになるようになっている場合がありますので、
その点は注意が必要です。3・4ページ以降に良好な情報がある場合もあります。
情報を主体的に集めて「自分の頭で判断する」
あたりまえのことですが、メディアもSNSも社会的権力者になってしまっている現代では、
自分を守る最小限の手段として、これを実行することをお勧めします。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。