【意識と脳はどちらが指令塔?」不老長寿になるのは「本当の自分」なのか。「別人」なのか。

 不老長寿の時代が到来?

 科学の進歩によって

「人間の寿命がなくなり、不死になる時代がまもなく来る」

と言われていますが、皆さんはどう思いますか。

 割と多くの人が

「そんなに永く生きてどうするの?」と言ったりしますが

その価値判断はさておいて

その方法がは本当にあるのかを考えてみます。

科学者たちの予想

 人間の寿命について有名なのは

「テロメア」の話です。 

 「テロメア」は、生物の細胞の中にある染色体の末端で染色体を保護する役割をするものです。

普通、DNAは複製をして細胞分裂を行っていきますが、

テロメアDNAは完全に複製されず、徐々に短くなっていく運命のものだそうです。

そして限界まで達すると細胞分裂ができなくなってしまいます。

研究の結果、その限界が120歳と言われていて

これを発見したアメリカの学者レオナルド・ヘイフリック博士の名から「ヘイフリックの限界」と呼ばれています。

これによると、人間の寿命は120歳以上には延ばせないということになります。

 しかし「脳のニューロンは老化しない」という説や、

必ずしも個体レベルでは寿命と相関が低いという説、

もっと寿命を延ばせるという考えもあります。

 また、イギリスのオーブリー・デグレイ博士は「わずか20年後には不老不死が実現する」と主張して世界を驚かせました。

不老不死を阻害する7つの要因を検討して、すべて解決が可能だということのようです。

 以前の記事で登場した、シンギュラリティーを予言しているレイ・カーツワイル氏も、

「老いや死は、科学技術の発展で克服できる」と主張しており、不老不死の可能性を示唆しています。

血球サイズの極小ロボット(ナノマシン)が血管を駆け回って器官などを修復する、SFのような未来も示唆されています。

現在の科学の水準を考えると、実現は可能かも知れません。

 不老不死は夢物語ではなく、

そろそろ多くの学者たちが、その具体的可能性を語り始めていると言えます。

脳のデータをアップロード

 最近よくネット上などで目にするのが

不死身の体を持つクローンを作って

人間の脳のデータをスキャンしてアップロードしていけば

1万年でも2万年でも人間は健康で生き続けられるというような話です。

 荒唐無稽な気もしてびっくりしてしまいますが

実際にその可能性について検討が始まっているようです。

 人間の脳の記憶というものは、何となく

コンピュータのデータに似ているような気がしますが

これについては

多くの人がそう思っているみたいですね。

 そう考えると、

コンピュータのアップデートと同じように

不具合のある所を修復していくという考えも、科学としてはありかも知れません。

 肉体のクローンを作るということの倫理性は、もちろん問題になりますが

本人自体を永く生存させるための技術ということですから

いわゆる食用の牛をクローンで育てるなどというのとは少し異なります。

 また、果たしてそういう事が人間に許されるのかという倫理的・哲学的な問題もありますが

技術的側面だけを見ていくと、実際にはかなり可能性があると思います。

その人ははたして「自分」なのか

 でももし、そういう技術が出来たとして

脳のデータを新しい体に移し替える場合には、

「『意識』は本当に移転しているのか」という大きな疑問が湧くと思います。

「意識移転」の問題です。

 これは「人間とは何か」ということの根源に関わる問題だと言えますが

人間をただの「物質の集合体」と考えると

「意識」は物質である脳のニューロンのデータの中にあることになります。

そうするとアップロードしたり移し替えたりしても

脳自体が同じものであれば

新しい身体に備わっている「意識」は移転前の人自身のものなのかも知れません。

 しかし

人間を「物質だけでない」全人的なものと考えて、「意識」こそが「その人」そのものであるとすると

移し替えた後の脳のデータは、単に脳データに過ぎず「意識」そのものではないため

もはや「私」ではない可能性が出てくると思います。

 「本人に真否を聞けばいい」と思われるかもしれませんが

新しく脳のデータを備えた新個体のその人は

自分では「私です。間違いありません」と答えるに決まっています。

 でも現在の「私」は「意識」と肉体を離されてしまう訳ですから

データ移し替えの瞬間に、消失してしまっているということになります。

 「自分ではない」別の「新しい私」になってしまっていて

それは今の自分とは「意識」が異なる「別人」だということです。

 この点を議論している人が割と少ないと感じていましたが、よく考えてみると

もう一つの新しい視点があることに気づきます。

それはこのようなことです。

脳の中に意識が入っている(物理的にのみ考える)とすると、脳を取り替えてもその意識は自分である。

脳の中に意識が入っていない(脳でなく全人的な人と意識が結びついている)とすると、脳を取り替えれば物は同じであっても、意識は自分とは別人である。

というのが上記の論点でしたが、さらに

脳の中に意識が入っていないということは、脳の外部に意識があるという事を指し、むしろ意識が脳という単なる物理的な箱に命令をしているため、脳を変えても意識は新しい脳に命令をすることができる。だから自分は変わらない。

という考え方もあります。

これは、現在ではまだスピリチュアルと言われる方面の考え方の部類に入り、「人間には身体から離れて意識があり、それは肉体が死亡しても滅びない」という理論を背景にするものと言えますが

これも、可能性がある考え方の一つのような気がしています。

 こういう話については、もっと新しい科学的エビデンスが発見されたり議論が進むといいなと思います。

考えて見るととても面白い題材ですね。

 最近になって「意識のハードプロブレム」という問題提起がされ話題になっています。

 物質および電気的・化学的反応の行われる集合体に過ぎない脳から、なぜ主観的な意識体験(クオリアと言います)とが生まれるのかについて十分が説明できないという問題を言います。

 オーストラリアの哲学者デイブィッド・チャーマーズによって、意識と脳の関係について物理的関係に終始している議論に対する批判のような形で提唱されました。

このような議論も、まさに上記のお話と共通する問題意識によるものですので、興味を持つことのできる内容だと思います。

結局この話は、「人間とは何か」という議論に収束していく気がしています。

 最新科学のことを考えていったのに

その先で、「人間とは何か」という疑問に突き当たるというのは

大変興味深いことだと思います。

 いずれにしても科学の進化は、私たちに創造を超えた新しい未来をもたらしてくれるに違いありません。

そしてそれは、私たち皆が笑顔で暮らしていくことのできる未来であることを祈りたいです。

 今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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