全能の逆説
前回に引き続き、論理学で話題になるパラドックスについてご紹介したいと思います。
今回取り上げるのは、「全能の逆説」いわゆる「全能者のパラドックス」です。
それは、こんな問いかけから始まります。
神が全能なら「何者にも持ち上げることのできない重さの石」を作り出すことは可能だろうか?
もしもこの質問に「可能」と答えるならば、その「何者」には神も含まれているので神は「全能者(あらゆることが可能な者)」ではなくなります。
そこで矛盾が生じます。
このことからこのパラドックスは「全能者が存在しないこと」を証明するものだと一部では言われているのです。
論理学ってそんなに偉いの?
これを始めて知った時の私の感想は、「論理学ってそんなに偉いの?」でした。
「何でそんなことがこんな言葉遊びで証明できるのか」と思ったからでした。
しかしよく調べてみると、そういう事ではなくもっと深く「全能者」というものの存在を考えていて、さらにこれを正確に分析したものとしてこれとは別に「哲学者の回答」というものもあります。
詳細には触れませんが、要は「全能者」の定義次第だと思います。
結論から言うと「論理学が神の存否を決めたりはしていない」ということです。
不正確な前提
さて今回もこの論理学上のパラドックス、前提が不正確であることに気が付きます。「哲学者の回答」はそれに気づいて、さらに深い分析をした専門的なものです。
簡単に言うと「全能者」である神が「自分も持ち上げられない石」を作れても、それを作る意味がないという事です。
だから問いは、
神が全能なら「神以外の何者にも持ち上げることのできない重さの石」を作り出すことは可能だろうか?
でなくては普通おかしいのです。
また、仮に神がいったん自分も持ち上げられない石を作ったとしても、全能者であればオーダーを取り消してまた持ち上げられますね。オーダーの変更だって全能者はできるからです。
こう考えると様々な意味で「全能者」を誤ってとらえているということがわかります。さらに時間の経過もこのパラドックスの中には入っていないようです。
一回自分も持ち上げられない石を作ったからといって「はい、すべて取り消し」だってできるのです。かりに「永久に持ち上げられない」というオーダーだとしても「全能者」なら「永久を超える超永久」を作ったっていいのです。
何せ「全能」なのですから・・・。
「全能」への想像力が少し足りない気もします。
考えることが目的
前回と今回でパラドックスについて、その前提や状況の設定が甘いという話を書いてきましたが、別に論理学を揶揄するわけではありません。
論理学は私たちが何かを考えていく際の手掛かりやステップになるため、しっかり学習をしていけば大いに役立つもので、むしろ実践的な学問だと言えるでしょう。
私も長く勉強してきた法学などは、論理学がなければ正当性や妥当性を測る尺度もなく、おそらく恣意的で危険なものになっているでしょう。
最近はご存じのように、いささか論理的でない展開が世情をにぎわしており少し心配をしているくらいです。
こういうパラドックスを含む論理学については
「物事を考える」練習だと考える良いのではないかと思います。
簡単に言うと「どうやって嘘を見抜くか」とか「おかしいところがありそうだぞ」というような感覚で考えてみるのです。
別にテストをするわけではないので、それでいいのです。
もし論理学教室で、私が展開したような考えを書けば
「与えられた裁量の範囲を逸脱した解答」としてそもそも採点さえしてもらえないでしょう。実際司法試験の論文の答練では、よくそんなお叱りを受けたのを思い出します。
私の発想も自由過ぎるようです。
しかし、あくまで「思考のお遊び」程度でとらえておいた方が面白く、かつ、実際にも役立つことは確かだと思います。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。