人は変わる
少し会わないうちに、人間が別人のように成長することがあります。
これについては、有名な韓信の逸話があります。
韓信は中国の淮陰で暮らしていましたが、定職に就くこともできず、毎日気力なくふらふらと遊んでいました。
老女に食べ物を恵んでもらっていたりしました。
ある日、町で不良に絡まれ、「悔しければその剣を持って俺たちと戦え。その勇気がなければ股をくぐれ」と言われ、無用の危険を避けるため屈辱的な股くぐりをしてしまいます。
こんな意気地がない様子でしたので、周囲の人間の韓信についての評価はかなり低いものでした。
ところが、信じられるでしょうか。
韓信は、後に漢を興した劉邦の軍事参謀として大活躍をして
「韓信の武略がなければ劉邦は漢を興すことはできなかったろう」といわれるほどの功績を残すのです。
そして、国士無双(ほかに並び立つ者のないほどの英雄)と呼ばれるに至ります。
淮陰の町の人々もさぞ驚いたことでしょう。
これが有名な「韓信の股くぐり」の故事です。
「人は変わる事ができる」ということを強く印象付ける逸話です。
なぜ韓信は変わったのか
なぜ韓信が変わる事ができたのかについては、色々な説があるようです。
「こんなところでけんかをして死ぬのは無駄死だから、将来のことを考えて争いを賢明に避けた」というような解釈が主流のようです。
私の考えはちょっと違っていて、韓信が歴史に残る軍略家として破竹の勢いで戦勝をすることができた理由は、実は「臆病」であったことにあるのではないかと思います。
そこでは、「臆病」だから負けないようにありとあらゆる工夫を早くから準備するため、結局最終的に勝利を得ることができるという理屈が働いていたのではないでしょうか。
「臆病」であるため、決して高を括らず
「臆病」であるため、いつもあらゆる防御のための予防線を張り
結局そうこうしているうちに、
「負けない」から勝つということになるのではないかと思います。
当時の韓信は「臆病」と言う良い素質はもっていたものの、まだそれを対外的にうまく利用する術をもっていなかったのです。
想像ですが、韓信は、自分の歯がゆさや情けなさを強くかみしめながら
「どうしたら他人に迫害されることなく、自分の意を世に広げることができるのか」という事を
深く考えたのではないかと思います。
そこが、彼の出発点だったのではないでしょうか。
馬に乗らない乗馬の達人
同じような例として日本でも、徳川家康について、彼が人一番用心深かったという話が残されています。
ある時、川に細い橋が架かっていて
そこを順に将が馬に乗って渡っていくのですが
家康は、乗馬がかなり上手で名人級だと言われていたので
周りの人々は、さぞ華麗な馬術で渡っていくのだろうと見守っていたら
何と、橋のはるか前方から馬を降りて歩いて橋を渡ったという有名な逸話があります。
細い橋で馬に乗れば、万に一つ落馬する危険がある以上、それを回避すると考えたのです。
徹頭徹尾、安全な道を選び慎重に振舞ったという、その思考法こそが
彼をして天下を獲らせるとともに
戦国時代を最終的に終わらせて、平和な世の中を創り上げるにいたる大きな原動力になったのでしょう。
もっとも周りの人たちは、さぞ興ざめだったとは思いますが…。
完全にマイナス、完全にプラスという事はない
人の性格について、この性格は完全にプラスになるとか、こういう性格はマイナスだから救われないということはないのだと思います。
「勇敢」は確かに長所でもありますが、言い換えれば「軽率」「無鉄砲」という表現もできる部分があります。
「臆病」は短所ではありますが、言い換えれば「慎重」「冷静」という見方もできるのです。
何かを一面だけ見ることは危険ですが、とりわけ人の性格については決めつけをしてもいいことが何もありません。
その一面だけを見て、善悪を決めるということは避けたいですね。
中でも、子どもや若者には「可塑性がある」と言われます。
一旦道を誤ってしまっても、一度進んでいた道にまたスッと戻ることが簡単にできる、つまり
やり直しが十分できるということです。
子どもに接する人間は特に、このことを肝に銘じて接する必要があるのではないかと思います。
一面だけ見て「ああこの子はもうこういう風だから、将来はこれしかない」と決めるのは早すぎませんか?
また子どもや若者だけではありません。総じて人は「変わる」ことができる生き物です。
人は誰でも、そう思い決意したときに何回でも変わることができます。
「臆病なオレ」が「臆病だからこそ勝てる自分」に変わる事もできるのです。
物事はすべて思考から生まれます。何一つ最初から決まっている事なんてないのです。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。