六書(りくしょ)
漢字の成り立ちや由来を国語で勉強します。
「山は実際の山の形からその漢字ができたんだよ」というあれです。
これは「六書(りくしょ)」と言われる漢字の成り立ちについての学習です。
象形・指事・形声・会意・転注・仮借の6種類の漢字の成り立ちを学びます。
象形文字(しょうけいもじ)は、実際にある物の形からできた文字
指事文字(しじもじ)は、物の形などでは表せない概念を記号的に表す文字
形声文字(けいせいもじ)は、意味を表す部分と音を表す部分とからなる文字
会意文字(かいいもじ)は、複数の意味や形を持つ漢字を組み合わせた文字
転注文字(てんちゅうもじ)は、元の意味に類似の別の意味に転じた文字
仮借文字(かしゃもじ)は、音が似ているか同じ字を他の意味の語に転じた文字(当て字は仮借文字の一種)
何と中国の周の時代に、貴族の子弟はすでにこれを学習していたとの話もあります。
周と言えば、甲骨文字で有名な中国文明の興った殷(いん)の時代の次の時代です。
そうすると文字が書かれるようになった初めの頃から、この六書は学ばれてきたことになる訳です。
長い歴史を感じ取ることができる「言葉の基本知識」ということになるでしょうか。
小学校でも習いますが・・・
小学校では普通、象形・指事・会意・形声を学習します。
ゆとり教育の一時期には、この用語自体までは習わないようになっていた時期もあったようですが、今は「象形文字とは」というような形できちんとその名称も指導対象になっています。
しかし現在でも、「六書」という言葉自体については中学受験をする生徒を除いて、
もし生徒にそれを言っても、「何?」という返事が返ってくるのではないかと思います。
習った単元なのに、その名称を知らないのです。おそらく「六書」という言葉は直接しっかりとは教えていないと思います。ただ、教科書にはその名称が記載されるようになっていると思います。
またこの単元については、生徒の理解度は全体的にはかなり低く、特に指事文字や会意文字についてはなかなか上手くイメージできない生徒が多い気がします。
おそらく「漢字の成り立ち・由来」を知ってもらえばいいというスタンスで教科書は作られているのだと思われますが、他の単元に比べると結構難しい感じがします。
興味を持つ生徒はいますが、記憶に残っていくかどうかというと、象形文字のように印象に残るもの以外は忘れてしまう生徒が多いような気がします。
中学でも習う六書
中学の国語でも六書は出てきます。テストで出題されることもあり、漢字の中では一番多い形声文字などについては特によく聞かれます。
でも「六書」という言葉自体については、それをしっかり知っている生徒は稀です。テストでも「六書」の名称を問題として聞かれることはありません。
これは教科書では多くの場合、「熟語の成り立ち」という単元名での指導がされていて
「六書」という名称についても、またその文化的な歴史についても、ほとんど触れられていないことが多いためではないかと思います。
またこの学習の全体像(漢字の由来・成り立ち)を意識できている生徒も意外に少ないです。
小学校でも中学校でも勉強する内容で、しかも大昔から学ばれている割には
言い方は悪いですが、軽視されている単元のような気がします。
小学校でやった内容がそのまま中学校で出てくるというのも疑問があります。
何かもう少し工夫ができないのかと思ったりもします。
また会意文字と形声文字の区別があいまいな所があるようで、同じ字を会意文字と扱ったり形声文字と扱ったりして混乱している部分もあることが指摘されています。
いずれにしても、とても大切な古くからの知識であるのに、何か難しい感じがして敬遠されてしまっている学習が六書だと思います。
六書は本当は楽しい学習
でも漢字がどうやってできたのかそのことに想いを馳せれば、なかなかロマンチックな話がこの六書の学習の背後には隠れています。
特に象形文字などはイメージ遊びのようなもので楽しいです。
亀の字から逆にカメの絵を書いて見たり、象の字から長い鼻はどこかを思い浮かべてゾウの絵を書いて見たりするのは、楽しい上に大昔の人の考えたことをたどることができます。
考えてもみてください。
カメを見た古代の人が、「これを文字にしたらどうなるかな」と考えて
一生懸命「亀」の字を発案して、それを皆が使うようになっていったのです。
「亀」の字をじっと見ていると、その時古代の人に見つめられたカメが照れくさそうにそこにいるような気がしませんか?
たとえば、上と下の「上」ということを初めて文字で表した人は、
どんな気持ちでこれを書き表したのでしょうか。
「上という意味=上方であること」はもちろん抽象的な概念ですから、象形文字で表すことはできません。
でも何かを伝える時にそれを表す文字がなくて困ったはずです。
文字で上という意味を伝えたい場面は必ずあるからです。
何度も何度もいろんな文字を考えてぐるぐる歩き回ったかもしれません。
あるいは周りの人とあれこれ話をして
「これかな?」「いや、こっちの方がいい」などと言っていたのかもしれません。
そして「⊥」という形の上の部分に 「ー」という印をつたような「上」という文字(指事文字)ができたのです。
これなら「下」じゃなくて「上」だとわかりますよね。
このように漢字の由来を知りつつ、漢字が出来た頃のことを想像するのは楽しい学習です。
でも小学校でも中学校でも、この単元をじっくりやっているようには思えません。
どちらかというと、1授業位でさっと通り過ぎているような印象です。
ひどい場合は「こんなのもあるよ」と紹介して終わったというような話も聞きました。
古く周の時代から学ばれ続けてきた六書の学習、少し見直してもいいかも知れません。
昔は国語の教科書にも文学史などの記載がたくさんあり、
「文化としての言葉というものが、どのような経緯を経て現在に伝えられてきたか」
ということを、指導内容としても重視している傾向がありました。
しかし次第にそういう記載は少なくなって来ていて
特に中学校の教科書では、最近は悲惨な戦争の話だったり、中国の革命に絡んだ話のようなものばかりが多くなってきたように感じます。
もちろんそういう単元も必要かもしれませんが、その割合が不自然に多い気がした時期もありました。政治的な配慮が教科書にはどうしても入り込むような気もします。
そして普通教科書が改訂されると、物語などは結構変更されますが、このようなものはずっと掲載が続いていたりします。
「六書」について学ぶということが正面から単元になっていないのも、
ひょっとして何か理由があるのかも知れませんが、
勉強をするのに「タイトル」を知らないというのも大変おかしな話です。
計算問題をたくさん解くのに、今やっている勉強が方程式の勉強だということを知らないようなものです。
六書の学習がなんとなく軽んじられているのは、こんなことも一因になっているかもしれません。
本来なら「漢字のいろは」の段階で習ってもよいものです。
この機会に「六書」という名称くらいは覚えておくのもいいのではないでしょうか。
漢字辞典などを見るときちんと詳しく出ていますので、一度見てみるのも面白いと思います。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。