【雷怖い】「くわばらくわばら」の呪文と菅原道真

学問を究めた菅原道真

 平安時代に活躍した菅原道真と言えば「学問の神様」として天満宮や天神社に祀られていることを思い浮かべる人も多いかと思います。

文字通り菅原道真は「学問の人」でした。

菅原家は私塾を開くなど学問にかかわりのある貴族の家で、そんな環境の中で育ったためか。道真自身も道真は幼少より詩歌に才能を発揮していました。

 18歳で早くも文章生という試験に合格したのを始めとして、学問に関するキャリアを積み上げていきます。やがて文章博士に任命され、私塾も継ぎこの時代の文化人の中心的なそんざいとなりました。

 その後道真は、当時の宇多天皇の厚い信頼を得て、政治家として活躍をします。894年には、それまで長く続いていた遣唐使の制度の停止が決まりましたが、これは道真の提言によるものでした。

遣唐使の停止は、我が国特有の国風文化の開花の流れに大きく寄与する出来事でした。

 次代の醍醐天皇の下では、左大臣に次ぐ役職であった右大臣に就任しました。

失脚、そして左遷へ

 ところがそんな道真をあまり良く思っていない勢力がいました。左大臣の藤原時平らとの確執により讒言もあって醍醐天皇に大宰府(九州)へと左遷されてしまいます。

 太宰府への移動はすべて自費で行うように命じられ、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられてしまいました。

そして失意の中で亡くなるのです。 

東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ

この歌は、道真が無実の罪で左遷される前に、大切にしていた梅の木に語り掛けるように詠んだとされる歌です。

「春風が吹いたならば、その香りを送ってくれ、梅の花よ。私がいないからといって、春を忘れてはいけないよ」という意味です。

道真の祟り?

 ところが道真が亡くなったころから、都では道真を追いやった人たちが次々に不審死を遂げます。直接道真を陥れた人物は落雷で死亡してしまいました。

また日照りや洪水などの異常気象や疫病の流行なども起こったと言われています。

人々は道真の祟りだと噂をし始めました。そこで朝廷も放置しておけず左遷を取り消し名誉回復をさせますが、さらに醍醐天皇までもが、御所の清涼殿が落雷で全焼した際に、大きな衝撃を受けて亡くなってしまいました。

そこで道真の怨霊を鎮めるために、大宰府や京都の北野に神社を建て、道真を祀ることにしたと言われています。

これが今の太宰府天満宮や北野天満宮です。どちらも「学問の神様」菅原道真を祀ってあるということで、今は合格祈願などで有名ですね。

くわばらくわばら

 さて今回のタイトルの「くわばらくわばら」の呪文のお話です。

最近ではあまり言わなくなっているかと思いますが、昔からたたりをさけるための呪文として広く使われてきた言葉です。

私が子どものころやっていたドラマや映画では、よく「さわらぬ神にたたりなし」というような事を言うシチュエーションで「くわばらくわばら」と言っているシーンを見ました。

 江戸時代に書かれて多くの民衆が読んでいた滑稽本などにも「頭をおさへて顔をしかめ、くわばらくわばら」と書かれているものがあります。人々の慌てる様子が目に浮かびますね。

 この「くわばら」ですが、もとは雷除けのおまじないでした。

菅原道真が一時住んでいた京都の桑原という場所に雷が不思議に落ちなかったため、道真の祟りの伝説とも相まって、「桑原、桑原」と言えば雷が落ちないと思ったため、この呪文が生まれたというのが真相のようです。

みんな道真の力にあやかりたかったのでしょうね。

 菅原道真の人生は左遷によって悲劇の幕を閉じましたが、彼の高い能力や国への貢献、人々に愛されていた人物像などが大きな印象をもって後世に色々な形で伝わり、人々の心に残っているといえるでしょう。

皆さんもぜひ一度天満宮へ行ってみるといいですよ。

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