【意識の深層】「阿頼耶識(あらやしき)」と「ユングの集合的無意識」と「アカシックレコード」

阿頼耶識(あらやしき)

仏教の言葉で「阿頼耶識(あらやしき)」という言葉があります。

 これは、人が持つさまざまな表面的な知覚や世の中の現象に対する認識や意識の根底にあるといわれる識(精神活動)の事を言います。

大乗仏教に瑜伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)という学派がありますが、阿頼耶識は元々はこの学派の主張によるもののようです。

5つの識(知覚)である 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識 を始めとして順に→ 意識 → 末那識(まなしき) → 阿頼耶識と段々深く意識作用があるとされます(八識と呼ばれます)

 阿頼耶識は、個人存在の根本にあって通常は意識されることのないものですが、阿頼耶識に備わっている業力は、結果として現れるまでずっとその力は消えないそうです(業力不滅)

「阿頼耶」はサンスクリット語のalaya(場所)に由来しており、本来の意味は「」を表すとされています(蔵識とも言われる)

末那識(まなしき)以降が無意識の世界ですが、阿頼耶識にはすべての知識や経験が蓄えられていて、末那識より一段深い無意識であるとされます。

集合的無意識

 スイスの精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユングが提唱した分析心理学の概念として集合的無意識というものがあります。

人間の深層に存在する、個々人の実際の経験を越えた多くの人(最大では人類全部)に共通した先天的な精神領域で、普遍的無意識とも呼ばれます。

これは個人ごとの個人的無意識に対立する概念で、まとめると、大きく分けて人の精神領域には「意識顕在意識・consciousness)」「個人的無意識潜在意識・personal unconscious)」「集合的無意識(collective unconscious)」の3段階があるとされています。

この集合的無意識というものは、人が誰かから学んだりすることによって個人的に獲得されたものではなく、最初から備わっている(心の奥底にある?)もので、それは一度も意識(顕在化)されたこともないというのが特徴です。

人間の精神的活動がすべて大脳皮質の働きによるものであるとすると、このような集合的無意識も当然遺伝によって親から子へ伝承されたということになるでしょうが、

そうではなく無意識と言うものが他人と奥底でつながっている(スピリチュアル系の表現ではワンネス)ということであれば、遺伝ではなく元から集合的無意識部分で人は相互につながっているということになるかと思います。

阿頼耶識と集合的無意識

 阿頼耶識は仏教の言葉ですが、ユングの集合的無意識に近い概念を示すものと言えるかも知れません。

ここで微妙なのは阿頼耶識が個人の範囲にとどまる概念なのか、それとも集合的無意識のように他の人ともつながりがあるものかどうかですが、

八識の考え方とユングの意識・無意識についての発想がかなり似通っている内容であることに気づきます。

どちらの考えにおいても、実際に表面に現れている知覚や意識は、精神的作用のごく一部であってその下に非常に大きな無意識部分があるようです。

ユングの考えた意識・無意識のイメージについては「意識は氷山の海面に出ている一角であり、潜在意識はその氷山の海中部分で、海面に出ている部分より非常に大きな割合を示している」という説明がされることがあります。

アカシックレコード

アカシックレコード(akashic records)というのは、この世界の始まりからの宇宙のすべての出来事やあらゆる人の思考や感情などの全部が記録されているという世界記憶を言います。

 もちろん科学的に証明されているものではありませんが、スピリチュアル界隈では大変有名な言葉です。

「アカシック」はサンスクリット語の「阿迦奢(アーカーシャ)=空間・虚空」を指すとされます。

イメージとしては天空に浮かぶ宇宙のすべてが記録されている図書館という感じでしょうか。

 一説によると、量子力学ではその領域が小さくなるほど空間が保有するエネルギーの大きさが大きくなるという考え方があり、いわゆる真空には莫大なエネルギーが秘められているとも言われています。

「虚空」が「アカシック」であるとすれば、ひょっとしたらコンピューターのデータのように宇宙の真空空間やあらゆる空間がこれまでの全記憶を保存しているのかも知れません。

阿頼耶識・集合的無意識とアカシックレコード

 アカシックレコードには宇宙が始まって以来のすべての情報が蓄積されていて引き出せるようになっているという考えが仮に真実だったとして、

阿頼耶識と集合的無意識も単なる個人単体でそれを保有するものではなく、何らかの相互的つながりがあるものと考えた場合には、

どれもお互いに共通点があることに気が付きます。

 人が個人だけで経験した事実や考えた事を超えるデータベースがあって、それが個人の意識や知覚の奥底に意識されることはないが眠っているということです。

アカシックレコードについては、あくまで想像上の産物であり、私たちがアクセスすることはできませんが、阿頼耶識と集合的無意識については、おそらくですが何らかの形で私たちの精神活動に影響を及ぼしていると考えられます。

 またアカシックレコードについては数々の伝説がありますが、ごく最近でないと意味がわからない高度な数式をはるか昔の人が意味も分からず書いていたというような事例もあり、ひょっとするとこれを実際に見て情報を得た人がいるのではないかという説もあります。

有名なニコラ・テスラの発明について、アカシックレコードとの関連があるのではないかという都市伝説もありますね。

そういう噂を信じると、これも何か無意識の中で彼らの頭脳に降りてくるものなのかもしれません。

いずれにしても、この広大な宇宙をすべて知り尽くすにはまだまだ科学の発展を待たなくてはなりませんが、

それ以上に私たちの心の中、精神領域を探索してその仕組みを知ることも大切です。

今回は阿頼耶識、集合的無意識、アカシックレコードという謎の多いアイテムについてあれこれ考えてみました。

今後もまたこういうテーマについては時々取り上げていきたいと思います。

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