【思考力】「考える力」と言われるものの正体

考える力

 よく学校教育でも「考える力をつける」とか「思考力が問われる問題」というようなことが最近は言われるようになってきました。

「考える力」を付けるということは教育として極めて重要で、むしろそれさえつければあとは何とでもなるという位のものですが、

我が国の教育では看板としては「考える力」を重視と言いながら、受験では丸暗記する力を試す問題がほとんど出題されるという、偏ったやり方が戦後長く行われてきました。

たとえば小学校の国語を見ればわかるのですが、たとえばみんなで教科書を丁寧に読んで、書いてあることについて、先生が上手に授業を組み立てて、生徒もいろいろ考えをめぐらしてよい意見や洞察力のある指摘が飛び交ったとします。

考える力を見るだけなら、先生が対話式で「A君は素晴らしい着眼点がある」「Bさんは誰も考えないような発想をする」という事を見て、それで成績を付ければよいはずです。

現に海外の教育現場ではそういうソクラテスメソッド方式を用いているところもあり、我が国では大学などでは利用されています。

 しかし小学校教育の現実は大きく異なります。生徒の評価は、業者が作った、先生の授業のオリジナリティなどは無視したペーパーテストによってなされます。そしてそこでは漢字が必ず書けなくてはなりません。

 そして問題文に少しひねりがあれば、生徒は確実に間違えるようになっています。

暗記力がある生徒、問題文のひねりなどへの対応ができることを練習した生徒が高得点を取り、個性的な着眼点を持つA君やBさんが評価されるかどうかはわかりません。

 簡単に言えば、現在の日本の学校教育が求めている「考える力」とは、文科省側が「こう答えれば正しい」というかなり狭い正答をひき、それに合わせた解答力を持つことを指していると言っても過言ではありません。

そのために必要なのは8割以上が暗記力です。少しひねった文章題でもその解答テクニックは暗記で対応できる範囲にとどまります。大学入試の評論問題でさえそうです。

何しろいつでも1つだけの正しい解答があるのですから・・・。そんなものは「考える力」がなくても、技術と暗記力があれば出せるものです。

 私が常々「受験の国語などはすべてテクニックで正答できる。真の読解力などは不要」と言っているのはそういう背景に基づきます。

 国語で求められているもののレベルを、多くの人が勘違いしていると思います。

 真の「考える力」とは、文章を読みそこから始まって、人々のために役立つ社会の仕組みや、この宇宙の秘密などについて想いを馳せ、新しい発想で世の中を変えていくことを思い立つような、そんな偉大な力を指すと思います。

実はそういう力は子どもたちには元々十分に備わっているのですが、逆に学校教育で「この漢字のはねが少し短いから✕」などという指導を受けているうちに、消されてしまっているのが実情です。

 そして逆に言うと、学校の国語の学習については、多くの人が難解なことをやっていると思い込まされています。たかだかペーパーテストで満点を取るのを「考える力」だと思い込むことから悲劇が始まっている気がします。

計算や漢字はできるのだが・・・

 小学生や中学生で「計算や漢字はできるのですが、文章題ができなくて」という生徒は非常にたくさんいます。

 このことは、保護者の方の悩みの中でも最も多いもののうちの1つであると思います。

自動的にやり方をマスターすればできる計算や漢字と異なり、文章形式での出題は、やはり「考える力」というものがないとなかなか正解が出せないことも多々あります。

 小学校の高学年になる頃に保護者の方が、この点が心配になり、ドリル式学習だけでは足りないと思って、塾の戸をたたくということも多くあります。

思考力の話に行く前に

そして心配されるほとんどの方は「考える力というものがないかもしれない」と不安になって、それを身につけたいと思って相談に見えられます。

 もちろん思考力には個人差があり、環境も違うので、それまで形だけのトレーニングで、頭を使って問題を解くということを全くしていなかったため

その時「初めて自分で考えて問題を解いた」というような場合もあります。

 思考力というのにも、学習ということに絞って考えてみても

素の頭での考える力(幼児の頃から培われてきた能力)

問題に対応する力としての思考力

の二つがあると思いますが、②については本当に初めてそれを使用するということになってしまいます。

当面はなかなか慣れずに誤答を繰り返すということになりかねません。

 しかし実際には、それ以前の段階の問題に過ぎないことも実は多くあります。

何を聞かれているのかを把握できない

 文章問題に対して、正しく答えられない生徒についてその状況をよく観察してみると、

実に大半は、問題把握がきちんとできていないということがわかります。

簡単に言うと「何を聞かれているのか」がわからず答えてしまっています。

 もちろんこういう問題把握力も、広い意味では思考力ですので、「考える力が足りない」と言えばそうなりますが

「判断をしたり、推理を行う」というような思考力の核心になる部分とは違う、このような前段階の部分で間違えてしまっているのは、実に惜しい気がします。

 問題把握などは、やり方を覚えさえすれば、かなりの場合出来るようになるものだからです。

深い思考力など全く不要の、マニュアル的な対応でマスター出来ます。

失敗する要因は何か

 文章問題が苦手な生徒の対策を行っていく時に、失敗する一番多い要因は何かと言えば

保護者の方が、「うちの子は考える力がたりなくて」というように考えて、漠然と「よく考えてみなさい」というような抽象的なアドバイスを繰り返してしまっている場合のように

「問題文の意味がわかっていない」ということを軽く通り過ぎて、問題把握に目を向けてないという事が挙げられます。

 問題文の意味をわかるということも、こういう状況の生徒には、実際にはハードルが高い場合もあるのですが

 上述したように、問題文の把握については明らかにやり方というものがあり、それは学べば割と簡単にできるようになるのです。

ところが、上手くいかない事例を考えて見ると、保護者の方も「よく考えて」と言い、本人もただ問題を眺めるだけで、「よく考えてもさっぱりわからない」などと言っています。

わからないのは当たり前で、問題文をしっかり読み意味を理解して「何が聞かれているか」について、一度も注意をしていないからです。

 過去の例では、問題文の読み取り方を徹底して練習をして、

たとえば、①口頭で問題文を易しく言い直して聞いてみたり

本人に口頭で「何を聞いているか説明して」と言って、問題把握の練習をすると

ほとんどの場合、さほどに考えなくても「ああ、わかった」という事になる場合がほとんどでした。

 ところが、そうやって正解を出せても、保護者の方も本人も難しいものと思って「よく考えないと」と思い込んでいるので

また問題把握をおろそかにして、結局進展がないということが多くなってしまっているのが実情です。

 「思考力を」と考える前に、まず問題が聞いている事を読み取る練習をするということが、改善への第一歩だということを知っていただきたいと思います。

今後も皆さんのお役にたつ情報をアップしていきます。

 


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