【しあわせは主観】カールブッセの「山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う・・・」の詩の意味とは?

人の視点はそれぞれ驚くほど違う

 私たちは周りの人と自分は同じような事を考えていると漠然と思っています。

しかし深く付き合ってみると物事の見方が大きく違っていることに驚くことがあります。

たとえば色々な仕事をしている人と一緒にバス旅行に行ったとします。

建築に携わっている人は街の建物の造りが自分の住む地域と違っていることに気づきます。

飲食業を営んでいる人は立ち寄ったお店で出てくる料理の工夫に興味を持ちます。

塾をやっている私は、平日なのに中学生が早い時間に帰宅していることに目が行きます。「何か行事でもあったのだろうか」などと考えます。

 皆が興味や関心を持つ視点というものが全く違うことに気が付きます。

自分一人で旅をしてもそんなことには気が付きませんが、他人と一緒に旅をするとそういうことを気づかせてくれます。

人はそれぞれ違っているからこそこの世界は面白いのだと思う瞬間です。

雨の日が好き

 多くの人が晴れの日を好みます。でも時には雨の日が好きと言う人もいます。

 有名なユーチューブ講演家の鴨頭嘉人氏の話の一つに、「晴れも好きだけど雨も好き」という話があります。

野球部の部活をやっていたため、雨で屋外の練習がなくなるとホッとしたという記憶から、雨も好きというような話だったと思いますが、

 これを聞いた時、私も全く同じでびっくりしたのを覚えています。

私の場合は陸上部で、雨が降ると基本的には屋内でのサーキットトレーニングになって、激しい練習が少し楽になるのでホッとして

 その記憶のせいか、他人より雨の日が好きでよく人に驚かれることがあったのです。

すべては考え方次第

 以前「世界を創造しているのは自分だ」という内容の記事を上げたことがありますが

「すべては自分の考え方次第」というのは、やはりその通りだと思います。

鴨頭氏の言うように「晴れの日もいいし」「雨の日もいい」という気持ちでいれば、毎日が「最高の日」ということになるでしょう。

 私たちは大なり小なり、色々なトラブルに日々巻き込まれて生活をしています。

何かある度に「ああこれは大変」「今日は何ていう一日だ」「自分にばかり災難が起きる」

そんなことを考えていれば、毎日は「最悪の日」になってしまうかもしれませんが、

「大事にならなくて良かった」「気をつけなくてはいけないということかな」「こんな軽傷で済んで良かった」と思えば「運のいい一日」だったということになるでしょう。

幸福は100%主観の中にある

 いつだったか「幸福は100%主観の中にある」という事を誰かが言っていたのを聞きました。

本に書かれている内容だったかも知れません。

 私は、まさにその通りだと思いました。

物事には色はなく、それを青色に見るのも、赤色に見るのもすべての事は自分の考え方や見方にあるということでしょう。

 これだけだと、分かりにくいかもしれません。

「客観的な幸福は、本人の中に存在しない」と言えばもっとわかり易いかも知れませんね。

「スターである」「お金持ちである」「誰もがうらやむ美男美女である」

 どうでしょうか。

報道やネットを見ていてそういう人の中にも、毎日色々なことで「大変そうだな」と思った人はいませんか?

 まあ、それこそ他人からは計り知れませんが、毎日マスコミにあれこれ言われる毎日がうらやましいとは思えない人も多いと思います。

 オタクと言われる人が、実は自分の好きなことに没頭していて心安らかな毎日を送り、

俗にリア充と言われる人が、他人に見栄を張る毎日に疲れて他人の事ばかり気になって、心休まることがない、なんてこともあるかも知れません。

 外から見たその人の幸福は、あくまでも「他人から見た」幸福に過ぎないのです。

だから「客観的な幸福は、少なくとも本人の中には存在しない」と言っても良いでしょう。

自分の中で「ああ、こんな状況で最高だ!」と思えて初めて、客観的な満足度が主観的にも幸福感をもたらすのです。

 だとすると、結論は明らかですね。

簡単な事ではないかも知れませんが、自分の考え方ひとつで幸福は、いつでも手に入るという事ではないでしょうか。

山のあなたの空遠く・・・

 ドイツの詩人カールブッセの有名な詩は、この真実を私たちに伝えています。

「山のあなたの空遠く『幸い』住むと人の言う。ああ、われ人ととめゆきて、涙さしぐみ、帰り来ぬ。山のあなたになお遠く『幸い』住むと人の言う。」(*上田敏氏の有名な訳を元に口語に直して表記してあります)

「山のずっと彼方に行けば、幸福になれる理想の場所があると人は言う。ああ、私は他人とそこを訪れようとしたが、希望した幸福は得られず、涙を流して帰って来るしかなかった。山のずっと彼方のさらになお遠くに行けば、その場所はあると人は言うのだが」といった意味の詩です。

 「幸せは実は身近な所、本当に身近も身近な私たちの心の中にあった」というのがこの話のオチになります。

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