【知っておきたい】「ポリティカル・コレクトネス」って何?「いいことなの?それとも?」

ポリティカル・コレクトネス

 皆さんの中には、ポリティカル・コレクトネスと言う言葉を聞いたことがある方がいると思います。

テレビやネットで議論をしている人が「それはポリコレでしょ?」なんて略して言っていたりして、さも皆わかっているような前提で話をしているのを見かけますが、今更「それって何?」とは聞けない人も多いかと思います。

ポリティカル・コレクトネス(political correctness)は政治的妥当性と訳されて、別にポリティカリー・コレクトなどとも言われますが、略してポリコレとも言われたりしています。直接的には、社会の特定の集団の人たちに不快感あるいは不利益を与えないように考えられた対策を指す言葉です。

たとえば、昔は看護師の職業名は看護婦という名称で呼ばれていましたが、その言葉だと「女性だけがやる仕事」という偏りを感じさせるため「看護師」という名称に改められました。

私の記憶では看護師という言葉が社会に定着し始めてから、男性の看護師の方が一気に増えてきたように思います。男性の看護士という言葉もあったようですがこれも看護師という名称に統一されました。

元々看護婦という名称であったので、この仕事に就きたいと考えていた男性はおそらく以前は進路をあきらめていた方がほとんどであったのではないでしょうか。それは適性があり仕事への熱意がある方を職業からはじき出してしまっていることになりますから、社会的な損失でもあったわけです。

また「それは女の看護婦がやる事」と言うような差別意識も生じていた場面もあったかもしれません。医者は男性、看護婦は女性というような意識があったとすれば、逆に今度は女性の医師の方の差別にもつながる可能性もあり、周り回ってみんな良い事はなかったので、こういう言葉の社会的な改訂は良い事だと思っています。

意外にたくさんある身近なポリコレ

 このような名称の社会的な変更は意外に身近にたくさんあります。

そしておおむね社会的にも歓迎されているようです。

たとえば保母・保父という名称は今では保育士という言葉に変わりました。

ビジネスマンだと「マン(man)」なので男性だけになっていまうので、ビジネスパーソンという呼び方ができました。こちらは保育士ほどまだ浸透し切ってはいない気がします。

カメラマンはまだ割と使われていますが、次第にフォトグラファーと言う言葉に変わりつつあります。

助産婦と言う言葉も助産師になっていますし、仕事だけでなくたとえば痴呆症という病名も今は認知症という呼び方に変えられました。痴呆「ちほう」というのではあまりにひどいイメージですのでこれは当然の事ですね。

 飛行機の客室乗務員の事を昔はスチュワーデスと呼びました。これは実は女性の乗務員の英語の名称で、男性の場合はスチュワードという呼び方があったのです。しかし同様な理由で今は統一してキャビンアテンダントという名称になっています。

よい事ばかりなのか?

 このように名称の変更などではポリティカル・コレクトネスは、おおむね社会的な平等観念に沿ったものであって良い方向で適用されている気がします。

しかし他方、あまりにこれを強調すると弊害も多いと言われています。

その理由はと言えば、上記を見ていただいてもわかる通り、「何が正しいのか」を決める主体は常に限られた人たちで、それは国民の代表者の場合もありますが、そうでない場合もあります。

何よりも変更自体を知らないという人も割と多く、そういう意味では恣意的な政治利用が容易だからです。

たとえばメディアにおいては「放送禁止用語」と言うものがありますが、普段人々が使っている言葉でもメディアが禁止すればそれは放送されることがありません。

政見放送などにおいてはまた別ですが、メディアによる自粛合戦で「話して良い言葉」がどんどん狭められているという主張は以前からかなりあります。いわゆる「言葉刈り」の問題です。

メディアがそういう姿勢を強く打ち出しているために、本来あらゆることを想定して議論をすべき議会などでの討議においても、政治的なスタンスから言葉尻をとらえて本来の主張内容についての話をそらしてしまうという戦術が多く行われています。

議員の表現の自由はこういう制限によって憲法に基づかないレベルで過剰に行われてしまっているのが実情です。

ヘイトスピーチ

 ポリティカル・コレクトネスとは異なりますが、これとかかわりのあるものとしてヘイトスピーチがあります。

 ヘイトスピーチ( hate speech)は、文字通りhate(ヘイト・嫌う)言動のことで、人種や出身国・民族・宗教など様々な要因に基づいて他者を攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動の事です。故意に悪意をもって行う点でポリティカル・コレクトなどとは区別されています。

 メディアでは、少し以前から移民や在日外国人に対するヘイトスピーチがよく問題になっています。

実際に詳しく法規制をしている国もあります。日本の場合は脅迫罪や侮辱罪あるいは強要罪などで取り締まりの対象になることがあると思いますが、問題はこれもまた「言葉刈り」になる危険をはらんでいるという事です。

たとえば上記のメディアに登場するヘイトスピーチをよく観察していただくとわかりますが、常に対象は日本人以外への言動に限られていることに気が付きます。日本人相互の場合でも特定の政治的配慮の元、この言葉が使われているのはごく普通に報道をみていても気づかれることがあるかと思います。

 これも同じように「じゃあ誰がこれをヘイトだと認定するのか?」ということなのです。もちろん司法によって判定される場合は問題はないでしょうが、実際はメディアがヘイトと言えばヘイトスピーチになり、発言者は社会的制裁を受けているというのが現状な気がしています。

 悪意のある言動が許されないのは当然ですが、新しい概念をどんどん取り入れているうちに表現の自由が全くなくなってしまうという危険について、私たちはいつも考えていかなくてはならないと思います。

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