【エピソード記憶】物語が人の記憶を強固なものにする。

言葉にならない記憶

 私たちの記憶と言うものは色々な形で脳に刻みこまれているものですが、まず、言葉にはできないがずっとそれが記憶されているというものがあります。

「身についている」と言ってもいいかも知れませんが、たとえば自転車の乗り方などは、一度それをしっかりマスターすればおそらくずっといつでもそれを行う事ができます。

非陳述記憶と呼ばれるこのような記憶は、もちろん無理にすべてを言葉にすればできない事はありませんが(「まず手をハンドルに掛けて、左足をペダルに乗せて・・・」と言う風に言語化自体は不可能ではないですが、膨大な情報量になります)デティールやニュアンスの部分まで含めると到底すべてを言語化するというのに適さないものです。

 不思議に私たち人間にはこういう非陳述記憶がストックできるようになっていて、それらは潜在意識によってその管理が司られているもののようです。

 今回のテーマはこういう非陳述記憶ではなく、言語化が容易な陳述記憶についてのお話です。

りんごは赤

 では言語化が容易な陳述記憶についてはどのようなものかと言うと、ごく簡単な例で言えば「りんごの色は赤」というような言葉にできる情報の記憶ということになります。

これは陳述記憶の中の意味記憶と言われるものですが、その情報は誰が持っていても同じ内容であって、言葉に表せることから、いつでも復元は可能です。

そのため学校での学習やさまざまな場面で登場してくる「覚えておくべき事柄」は言い換えれば「意味記憶」ということになるでしょう。

 ただ「りんごは赤」を忘れてしまう人はほぼいないと思いますが、「ネコ科の動物は愛着の表現としてかむという行動をとることがある」というような少し複雑な情報は、動物学の教科書でそれを読んでも、自分が興味がなければ、「あれ?なんでかむのだったかな?かむのは犬だったっけ?」というように単に言語として登場してきただけでは記憶にとどまらない場合もあります。

 そこでおそらく人類の進化の過程で、単なる意味記憶は消えやすいということから、人類はもう一つの記憶の形であるエピソード記憶というものを身に着けるようになったと思われます。

たとえば「自分の飼い猫がひざに乗ってきてとにかく甘えてくる。その挙句たいがい自分の手をかんでくるが、それはそんなに強くない。愛情表現なのがわかるのでうれしい」という猫の飼い主の経験があったとします。

この飼い主は「ネコ科の動物は愛着の表現としてかむという行動をとることがある」という言語的情報をただ暗記するのと比べて格段に記憶を長く定着をすることができます。

おそらく一生わすれない記憶になっているはずです。このように何らかのエピソードとともに情報を定着させている形での記憶をエピソード記憶と言います。

エピソード記憶の特徴はとにかく「忘れにくい」という事にあります。

物語性

 以前何回も記事を上げたことがありますが、人間の頭脳は機械とは大きく異なるため、丸暗記にはあまり適していません。

無味乾燥な言葉や数字の羅列をそのまま頭脳に定着できるという体になっていないのです。

これに対してエピソード記憶のように何か周辺事情と絡めて一連の情報がつながりをもってまとまっている場合には、想像以上の記憶力を発揮します。

なにかそういう情緒的な部分と記憶がつながりがあるのかも知れません。

だからたとえば歴史の学習をする際も、「織田信長は新しい武器である銃を戦争において活用して画期的な戦法を敷いた」というような言語情報(意味記憶)を暗記するのではなく、

 「信長が小さいころから戦国時代の怖さを知っていて、とにかく合理的な武器や戦い方がないかをいつも考えていた。それで『鉄砲をたくさん並べれば簡単ではないか』と思うに至ったが、当時の銃は火縄銃で火をつけてからそれが発射されるまでには時間がかかり武田の騎馬軍団は一回撃った後ですぐ迫ってきてしまう。そこで彼は色々考えた・・・」というように物語を知っておくことで、記憶を強固なものにできるということがいえるのです。

事実歴史が苦手な生徒は、歴史用語の意味を本当に字面でしか覚えておらず、「そんな話だったのか」に興味がありません。

徹底して意味記憶だけに注目してしまっているので、いつまでたっても「覚えては忘れ」の繰り返しになっているのです。つまり「興味がないから字面で学習する」→「覚えられず苦手意識が生まれる」→「さらに面白くない」という悪循環が生じています。

逆に「興味を持つ」→「背景から物語を知る」→「自然と覚えられて更に興味が生まれる」→「周辺の事も面白いに違いないと考えてどんどん覚えられるようになる」という好循環が生まれているのが歴史が大好きな生徒だと言えます。

 だから勉強ができるようになる事において最も重要な事は、やはりいつも繰り返しになりますが、「ワクワクして分かる喜びを味わう」という事だったり、「いろんなことに興味を持つ」という好奇心だったりするのです。

暗記をさせる前にやるべきことは、子どものこういうメンタルをまず考えて勉強という楽しい世界へ彼や彼女を「誘う(いざなう)」ことなのだと思います。

ぜひ一度お考えください。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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