【宦官趙高】昔も今も裸の王様を操る影の権力者が存在する?

稀代の悪宦官趙高

 秦の始皇帝と言えばおそらく知らない人はあまりいないと思いますが、始皇帝が亡くなったときに起こった政変のことはご存じない方もいるかと思います。

 始皇帝亡き後、丞相であった李斯(りし)は宦官(かんがん)である趙高(ちょうこう)の謀略に乗せられ、始皇帝の長男扶蘇(ふそ)を亡き者にしてしまいます。

 扶蘇は優秀な跡継ぎで、秦帝国を築き上げた功労者である名将蒙恬(もうてん)が補佐をしていましたが、自分の権力の邪魔になると考えた趙高は蒙恬も投獄して自殺へ追い込んでしまいます。

そしてさらに李斯も趙高によって偽りの刑で処刑されます。

趙高は始皇帝の次男胡亥(こがい)を操り思うがままに権力を握ります。

この時の有名な話が、馬と鹿の話です。

 趙高は自分の権力がどれくらいか試すために、官僚たちを集め胡亥の前で、鹿を曳いてきて

「これは馬です」と言い出します。

二代皇帝胡亥が「これは鹿じゃないか」というと

「これが馬であるとわからないのですか」

と言い周りを見渡します。

皆趙高の権力を恐れ多数の人が「確かに馬です」と言ったり、何も言えないでいましたが、

「鹿です」と正直に言った人もいました。

でもそう言った人たちはすぐに処刑されてしました。

 この故事は自分の頭で考える事を放棄して、他人の考えに盲目的に従う愚かさを「馬鹿」という言葉として後世まで伝えるものになっています。

 そしてやがて趙高は胡亥も死に追いやってしまいます。

そんな内部抗争をやっている間に秦はあっけなく項羽と劉邦たちに滅ぼされてしまうのです。

 宦官趙高は歴史に残る悪宦官ですが、

なぜこのような行動に出たのでしょうか。

権力というものの魔力

 普通に暮らしているとわかりませんが、おそらく権力というものには魔力があるのでしょう。

 それは自分の思い通りに世の中を動かしたいという思いがあってのことなのだと思いますが、

歴史を学習していくと、一旦権力を握った人間の権力への執念というものに驚かされることがあります。

 もちろん権力自体は悪ではありません。

民主主義による政治が行われている現代でも、権力は厳然と存在します。

現代では国家権力を適正に行使するのは、多数の人々の利益になることであるのが普通ですから、その力は社会にとって必要なものでもあります。

要は使い方次第だと言うことです。

権力者の見つめるその先

 権力の濫用という言葉がありますが、権力を持つ者にとって最も重要なことは、その権力を何に用いるかということです。

 普通に暮らしている庶民のためにそれを用いれば良いのですが、自分の保身や出世のためにそれを用いるようなことがあれば、世の中に害悪をもたらすことになります。

権力者の見つめるその先に何があるか、「民」なのかそれとも「自分たち」なのか、ここが大きな分岐点です。

 おそらく趙高も、自分が権力の中枢にいて強大な秦帝国を実質的に動かせることに酔ってしまい、「とにかく権力を握り続けていたい」と思ったのでしょう。

そのために権力闘争を全力で行ったのだと思います。

 しかし、彼の見つめるその先には「民」というものは終始存在しませんでした。

 彼は秦が滅びそうになる寸前になっても皇帝には「何も問題は起こっていない」と嘘を言い続けて、秦の最後の皇帝である子嬰(しえい)に殺害されてしまいますが、

秦が楚や漢の軍によって滅びそうになるその直前まで権力闘争をやっていたのには驚かされます。

 彼の主観的世界の中では、権力の外に苦しんでいる人々がいるということ自体を想像することができなかったのかも知れません。

当たり前のことが当たり前にならないのは昔も今も同じ

 最近の我が国の緊縮財政による弊害は目を覆うばかりです。

 語弊があるかも知れませんが、政治家もマスコミも我が国のある官僚たちによって実質的に動かされてしまっている感があります。

裸の王様になってしまう人の背後で彼を操っている影の権力者がいるというのは時代が変わっても同じなのかも知れませんね。

 そして権力を実質的に握っている人たちが自分たちの内部で出世競争だったり、怖くて慣例を踏み外せない施策などをやっているうちに「民」が次々と窮地に陥って国が滅びていくというのは、これまでの歴史の示すところです。

「民」のために政治が行われないと「民」だけでなく国自体が衰退してしまうから、「民」のための政治は権力を握る者自身にとって実は一番重要であるという当たり前のことが、

昔も今も、意外に気づかれないことがあるということが混乱の始まりです。

 手遅れにならないうちに、もう一度権力を握っている人(政治家とは限りません)は自分が見つめるその先に何があるのかを考える必要があるように思います。

 秦帝国は当時の世界では考えられないほどの先進的な政治の仕組みを用いていましたが、趙高の保身と権力志向により最後はほんのわずかの期間で滅びてしまいました。

そんなことを21世紀の現代で繰り返してはなりません。


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