努力が報われる確率
社会人になって生活をしている大人の方には、誰でも心当たりがあると思いますが、
一生懸命誰よりも努力して準備したことが、思ったより上手くいかなかったり、他の人に評価されなかったというようなことはたまに起こります。
これは考えて見れば当然のことで、
努力をしても、社会生活をしていれば他者との関連で物事が進んでいくので、学者の人が1人で研究をするとかいった場合以外は、なかなか努力がストレートに結果につながってくるとは限りません。
学者であっても今はチームで研究する場合がほとんどですから、チームのメンバーによっては結果がだいぶ違ってきてしまうことでしょう。
結局人間関係というものや周りにいる人たちとの連携といったことが得られないと結果は出にくくなります。
もっとも、だからこそ社会生活は面白いという見方もできます。
そこでは、努力というのは結果を必ず生み出す原因というよりは、最低限必要なものであって、それにプラスで運や周りの協力が必要ということが言えると思います。
努力を常にしてれば、努力が報われる確率は上がりますが、必ず結果が約束されるわけではありません。
勉強は「一人でやる」という特徴がある
勉強については社会生活と違って
「一人でやる」という特徴があります。
友達と一緒に勉強をしたり、先生に教わったりもしますが、
ベースは自分一人でやるのが勉強です。
ここでは
努力の量+努力の質=結果の良し悪し
という関係が成り立ちます。
考えようによってはとてもコスパの良いのが勉強だと言えます。
ところが保護者の方は感じている方も多いと思いますが、勉強をしている当の本人はこのことに気づきません。
社会の荒波にもまれる前に勉強をするのが普通ですから、なかなか勉強ができる幸せというものには気づきにくいのはやむをえないかもしれません。
でも、もし
そんなコスパが良い勉強というものが自由にできて、
その結果が自分のこれからの未来を切り拓いてくれることもある、
そんな幸福をいつも自分が享受しているということを、早い時期に自覚出来たならば、きっと努力の量も質も向上できるのではないかと思います。
私は社会に出て働きながら旧司法試験を受験していました。
その時に心の底から思ったことは、
「勉強をできるということは何と幸せなことだろう」
ということでした。
毎日ずっと勉強出来たらなんて楽しいんだろうとも思いました。
そんなこともあり勉強をする人のお手伝いをする仕事を今やっているのですが、
子どもたちの中には、
勉強を真に楽しみ、努力を結果を出せるものとして喜びにしている生徒がいます。
そういう生徒は伸びていきます。
逆に勉強を義務であると感じてしまうと、伸びは頭打ちになることが多いように思います。
勉強できることが、社会に出てからと異なり努力がストレートに反映される楽しいことであるということを、少しでも多くの子どもが知ってくれると良いと思います。
保護者の方も、お子さんにそのことをそっと知らせてあげてください。
ただし「勉強だけできてあなたは幸せよ」というような言い方は逆効果です。
私は、ご自身が毎日努力をされていることをお子さんに見せるだけでいいのだと思います。
その上で「あなたは安心して勉強していていいのよ」と言ってあげてください。
「勉強するのよ」ではなく
「勉強してもいいのよ」というのが、
お子さんの意識に良い影響を与えると思います。
勉強は義務ではなく、とても嬉しい子どもにとっての権利なのですから…。
そうすればお子さんは保護者の方の努力と大変さと、そう言ってもらえる自分を見比べて、やがて勉強できることの幸せに気づくことでしょう。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。