同じミスを繰り返したときの感想
私は仕事柄、問題を間違える生徒を年中見続けてきています。
間違え方はいろいろです。
いつもスイスイできている生徒がたまに間違いをしてしまったというような場合もあれば
そもそも理解が不十分で、ほとんどが誤答というようなこともあります。
よく考えていないために間違えたという場合もあれば
考えすぎて間違えるということもあります。
そして、間違えたときの反応というものも本当に千差万別です。
その中でも、繰り返し同じことを間違えた時の反応というのは、
その人の学習への姿勢がよく表れるような気がします。
間違えたときの悔しさ
同じ問題を間違えてしまった時
「あれ、まただ」と首をかしげるが、そのままにする者
「そんなはずはない」と怒り出す者
「どうして同じ問題なのに間違えるのか」と疑問を抱く者
「どうしたら次は必ず正解にできるのか」をトコトン考える者
いろいろな反応があるでしょう。
言うまでもなく
繰り返して同じ問題を間違えるのは、
理解不十分かどこかを勘違いしているということに理由があります。
そのことを真正面に受け止めないと、
おそらく心理的な陥穽に陥っている可能性が高い以上、再度繰り返して間違える可能性も高くなるでしょう。
だとすると、なぜ間違えたかをトコトン考えて対策をする以外に間違いの繰り返しから抜け出す方法はありません。
でも「繰り返していれば、きっとできるようになるはず」と
漠然と思ってしまう場合があります。
確信をもってそうしているのではなく
まさに「漠然と」「大丈夫だろう」と思ってしまうのです。
模試の結果を確認した場合や、学校のテストで一生懸命勉強しているのに正答率がなかなか上がっていかない場合に
同じ間違いを繰り返しているところがないか一度確認してみるといいかもしれません。
たとえば数学のテストで間違いを確認したら、どの間違い方も3~4回過去に間違えた通りの間違いだったりすることはざらにあります。
もし間違えたときに
「もう絶対間違えない」
「理由を徹底的に洗いなおしてやるぞ」
という風に見直しをしていれば、
パーフェクトと言えないまでも、間違いは激減していたかも知れません。
ではどうして私たちは
「漠然と」「大丈夫だろう」と考えてしまうのでしょうか?
勉強をするときは楽天的ではいけない
たとえば友達が何か失敗をしても
ニコッと笑って許してあげるとか
誰かが言い間違いをしても
わかっていてもわざわざ言わないというようなことは
人間関係的にはどちらかというとプラスですし
楽天的に「まあまあ、いいじゃないか」というように
正誤をはっきりさせない方が良い場合もあります。
これと異なり
勉強で間違いを直していくという過程は
正しいか誤りかを白黒はっきりして
理詰めで考えるという作業です。
だから正誤を常にはっきりさせないといけません。
勉強ができるようになるということは
「間違っているかもしれない」という心配をして
「間違わないためには、ここをこうしてあれをああして」と
いろいろ思いを巡らす能力が高くなるということですから、
どちらかというと楽天家ではいけない部分が出てくると言うことです。
もちろん社会生活と勉強の場面は異なりますし、
勉強でも創造性を生かせる学習であれば、別に楽天的な思考でも構わないと思います。
しかし特に単純正誤で知識を覚えていくような場面では
楽天的でなく猜疑心を持って自分の記憶を疑いつつ
そろ~りそろ~りと学習を進めていくというような、細心の注意が必要な面が必ずあります。
おそらく同じ間違いを、
「漠然と」「大丈夫だろう」と思ってしまって、詳しく見直しをしていかないという人は、
ここのところの学習の場面における切り替えがうまくできていないのではないかと思います。
悔しがること
ではどうすればよいのでしょうか。
実は「漠然と」「大丈夫だろう」と思ってしまわないための方法があります。
それは、間違いを「悔しがる」ということです。
結果にこだわると言うことが、繰り返しを回避する最上の方法だと私は思います。
私が過去に見てきた、成績が優秀で伸びる生徒は
成績結果というような大げさなものではない小テストのようなものまで
結果にこだわるという傾向が強くありました。
「間違えたときの悔しそうな顔」
程度の差はありますが、この点で共通しているのです。
悔しいから間違えないようにする。
徹底して見直すから二度と間違えないようになる。
単純にそういうことなのです。
なかなか間違いが止まらないという人は
まず、自分が成績の結果についてどう考えているか
そのことからまず振り返って見るといいかも知れません。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。