【壁を破る】「できない」という思い込み

麓からは麓は見渡せない

 山に登る前、麓では山の周りの全体像が見渡せません。

もちろん地図があればわかりますが

そういうものがなければ

自分の位置を知ることができないでしょう。

 ところが少しづつ山に登り、後ろを振り返ると

次第に山がどんな場所にあるのかが

自分の見渡した景色からわかるようになります。

 そして八合目を過ぎたあたりになると

登山の最終的な到着点へのゴールのスケジュールが

鮮明にわかるようになります。

 麓にいた頃の自分では見ることのできなかった世界が開けてくるのです。

勉強ができるようになる事の意味

 勉強についても同じことが言えます。

それまで全く分からなかったことが

次第にわかり始めていき

ある程度まで行くと

全体像がつかめるようになります。

そこからゴールへ向かう時の

「わかり始めた楽しさ」というものは

登山で八合目あたりから山頂に至るまでの至福感と、よく似たものがあるように思います。

 勉強ができるようになることの本当の意味は

「これまで全く知らなかった事」を取り込んで

「自分がそれを知っている」という新しい状態に「自分が進化する」という

実に楽しい体験をすることなのだと言えるでしょう。

 先が見えないのが楽しいのですが…

勉強はこのように登山と似ていて

先がなかなか見通せないのが

むしろ楽しみになるのですが

 中にはその楽しさに気づかないまま、終わってしまう人も多いのです。

言ってみれば

山麓をウロウロしていて

いつまで経っても山に登れないような状態です。

 どうしてそういう事になるのでしょうか?

想像力が足りない

 私は、そういう状況になってしまうのは

想像力が足りないのではないかと思います。

自分ができるようになっている状態を想像できないのです。

 山登りであっても

麓にいる人間は

見通しはできないものの

必ず「山頂にいる自分」を想像して山に登るのではありませんか?

勉強でも同じです。

「きっとこれがスイスイわかるようになるぞ」

と思って、混乱を解きほぐしていこうとするものです。

この気持ちが足りないと

あと少しの所で

糸口がつかめそうになるところで

「ああ、やっぱり駄目」と思って

後戻りしてしまったりすることが、あるのかも知れません。

 これは、根性論を言っているわけではありません。

「出来るようになっている自分」を想像することによって

人は冷静に、どうすればそういう風になるのかを

良く考えるようになるのだと思います。

 もし、そういうものを思い浮かべないとすると

逆に、いつも「できないのではないか」という先入観をもってしまいがちです。

まあ、簡単に言えば

「少し高を括った方が上手く行く」という単純な話ではありますが

やはり先への見通しを立てることが大事だという事は

登山でも勉強でも同じですね。

 今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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