修飾する言葉がわからない
小学生や中学生で、修飾する言葉(修飾語・被修飾語)がよくわからない生徒がいます。
ごく簡単な例で言うと、
「赤い花」で「花」を修飾するのは「赤い」といった具合です。
修飾語は、小学校の低学年から学習をしますが、「修飾する」「飾る」「くわしくする」という概念自体がよくわからない場合があります。
大人ですと、「これが修飾語で、この言葉を『詳しくしている』から全然簡単」と言う風に考えて、なぜわからないのか不思議に感じる方も多いと思います。
しかし修飾語がわからないのは、実は決して異常なことではありません。
ごく普通のことです。
しかしこの意識のギャップは、時に不幸を生みます。
生徒に教えた経験の少ない教師や、教えるのが下手な教師は
修飾語の意味がよくわからない生徒に、
言葉を吟味せずに、更に混乱を生んでしまう言葉を投げかけてしまったりするのです。
「ほらこの言葉がこの言葉を『飾って』いるでしょう」
こんな言葉を先生に言われても、生徒は「?」となるだけです。
生徒は内心こう思っています。
「『飾る』ってどういうこと?」
そうなのです。
「飾る」と言う言葉の意味自体を把握できない生徒は
非常にたくさんいるのです。
そして生徒は、単に「飾る」と言われても、そのイメージがつかめなかったり、別のことを考えてしまったりしてしまう場合が多いようです。
これは「詳しくする」と生徒が言われたときも同様です。
国語の文章題で「~について簡単に説明せよ」と書いてあっても
「簡単に」説明できる生徒はそんなにはいません。
もし仮に問題に「詳しく書きなさい」とあっても似た状況になるかも知れません。
こういうやや抽象的なイメージを持つ語句については、多くの人が
その意味をしっかり把握できず、把握できないまま使っていることが実に多い気がします。
イメージをつかむまでは時間がかかる
こういう場合は、たとえば「花」というところだけ見せて「花ってどんな花だと思う?思い浮かべてみて」
「きれいな花、青い花、白い花、いろいろあるけど、この場合は『赤い』花だね」
というような具体的なイメージを思い浮かぶようにして、修飾語が「花」という語をくわしく具体的にしているということを体感してもらいます。
するとようやく「ああ、そういうことか」と気が付きます。
気がついても、言葉が変わってたとえば問題が「明るい光」になったら、さっぱりわからなくなるかもしれません。
しかし根気よく考え方を確認していくと、やがて修飾・被修飾がわかるようになります。
このように、簡単そうに見える内容でも、イメージをつかむのには時間がかかることがあります。
わからないのには必ず理由がある
簡単そうに見える内容については、「わかってあたり前では?」と感じる方もいますが
学習において、すべての人に「わかってあたり前」のことは存在しません。
「その人には」わかってあたり前でも、必ずしも「別の人には」わかってあたり前ではないからです。
また、わからないことには必ず理由がありますが、
それは「勉強不足」「頭が悪い」「先生の言うことを聞いていない」といった抽象的な理由ではありません。
問題ごとの「わからない具体的な理由」があります。
学習というのは、そういうことを確認して1つずつ解決していく過程だと思います。
「彼が出来るのは『頭がいい』からだ」
そんなことを理由にしてしまうと
分析的に勉強をするという事ができなくなります。
1つずつややこしいことを分析して解決した先に、飛躍的な能力向上があり
「『頭がいい人』が分析もしないで、どんどん問題を解けている」という誤ったイメージは捨てるべきです。
そして一足飛びに「できる」「できない」ということに目を向けてばかりいると、次の一手がなかなか浮かばないような気がします。
遠回りに思えても、直接の理由を丁寧に確認して修正していくことが大切だと思います。
私たち教師は、生徒について「理解力がない」と判断することはほとんどありません。
他の方のことまではわかりませんが、少なくとも私はそうです。
生徒が理解できない場合には
「説明が伝わっていないに違いない」
「説明の意味を取り違えているに違いない」とまず考えます。
やり方を変えてアプローチすると、必ず焦点が合うポイントがあります。
それがわかるポイントです。ここをきちんと合わせていくことが大切です。
保護者の方も、お子さんがわからなくてできないことがあったときには
「なぜ、ここがわからないのだろう?」と
まず具体的に考えてみてください。
そうすると、意外に理由はわかるものです。
それを一緒に軌道修正していくと、自信もついてくると思います。
先入観で易しいと思い込むと大変になる
冒頭で修飾語の話をしました。
大人だと修飾語は割と簡単と考えている人も多いと思います。
しかしどうでしょう。こんな文章だったら修飾語であっても簡単にはわからないのではないでしょうか?
問い 次の文で「静かに」が修飾している言葉は何でしょう。
静かにそして穏やかに、華やかな街のネオンや、きらきらした電飾が飾られている年末の人込みの中にありながら、その車の中だけは、ゆったりと確実に時が過ぎた。
答えは「過ぎた」です。
修飾語の問題でも、少し手を加えただけで難易度はこんなに変わります。
この場合であれば、「静かに」「どうなったか」を探していく方法で答えは見つかりますが、その方法がわからないと間違えてしまうかもしれません。
問題が難しいと思い込んでしまうのもいけませんが、易しいと思い込むことも、またよくありません。
答えを出す考え方や方法は、すべてそれぞれの問題ごとに個別にあります。
問題ができないのは、全体的に学習がうまくいっていない証拠ではなく
単にその問題の解決方法がわからず、それが重なっているという場合が実は多くあります。
そのときに間違えたことを勉強ぜんたいのような大きなテーマにしてしまうと、子どもはやる気を失ってしまうことがあります。
「これがわからないなんて、いつも何を勉強しているんだ?」
「おい、大丈夫か?こんな問題も間違えてしまって」
「こんな簡単な問題もできないなら、学校へ行っている意味がない」
そんな厳しい言葉を言ってしまう前に
「なぜ、これを間違えたんだろう」
「どうしてそうなってしまったのか?」
それを考えることが重要です。
そういう意識で振り返って見ることが、自分の勉強への分析力を身に着ける手助けになることは多いと思います。
だから 「できる」「できない」「理解力がある」「ない」
というような話にしてしまう前に
まず目の前の問題を具体的に解決していく手がないか、それをアドバイスしてあげてみてください。
それが「わかる楽しさ」につながることは多いと思います。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。