【敬語を敬遠させる者の正体】敬語の勉強って重要なの?

敬語不要論

小学校でも中学校でも敬語の学習をします。

尊敬語・謙譲語・丁寧語・美化語の区分けがされていて、学校ではかなり詳しく習いますが

文化審議会の提唱により、さらに現在は謙譲語の一種として丁重語がありますので

5種類の敬語の種類があることになります。

 以前は確か美化語もはっきりとして区分けされず指導されていたと思うので

学習内容としては次第に複雑化していっているように思われます。

しかし、およそ国語を学習するときに、この敬語というものを避けて通ることはできません。 

 英語でも、敬意を表わす表現で称号(Mr など)をつけたり、Sir(サー)という表現を用いたり

あるいは丁寧な言い回し(Will you~? をWould you~?にする)など

敬語的なニュアンスの表現はありますが、

日本語のような、相手によって言葉の使い方が大きく変わる敬語ではありません。

その意味では日本の敬語は世界の中では特殊なものと言えます。

 また、敬語と言うのは過去に身分制があった封建社会の名残りであり、現在でも「社会的身分を前提にした言語」であって許されないという考え方もあります。 

 こういったことから根強く敬語不要論というものがあるようです。

また子どもたちは部活動などで大人の人と話す場合などを通して、敬語を使うことを覚えますが

国語で学習する敬語は、ビジネス敬語的にレベルが高めの内容も含まれているため

複雑だと思い込んでしまっていることも敬語を敬遠する理由になっているようです。

敬語の美しさ

 敬語自体が必要かどうかということはさておき

敬語が日本独自の謙譲の美徳という精神を表わす言語として

文化的側面からみた美しさを持つ言葉であることは間違いがありません。

 安易に英語と比較することはできませんが

食事をする場合の「食べる」は、英語では通常eat やhave を用いて

誰が食べようと言葉は同じです。

 大統領が食べたってeat で、

だからこそ平等なんだという見方もできます。

 これに対して日本語の敬語では

目上の人が食べるなら「召し上がる」

自分が食べることを目上に言うなら「いただく」

友達同士なら「食べる」

丁寧に言う場合は「食べます」

上品な言い回しの文語形で「食す」なんていうのまであります。

 初めて学ぶ人なら誰もが

「そもそも目上って何?」

「年上なら偉いの?」

というような事を感じたりすることでしょう。

 でも、TPOによってこのような言葉の使い分けをすることで

日本語(特に古典)が幅のある、表現に富んだ言語になっているというメリットもあるのです。

「大統領がディナーを食べた。私たちもそれを食べた」と言うのと

「大統領がディナーを召し上がった。わたしたちもそれをいただいた」と言うのでは

主賓とそれ以外の人達の、ポジショニングイメージの表現のきめ細やかさが

大分違ってくる気がします。

 もちろんこれは、私の感想に過ぎませんが・・・。

そしてこの敬語と言うものが、我が国の長い歴史による文化として

文学史的に貴重な価値を持っていることも否定できません。

だから、一概に否定するのも違う気がします。

敬語の必要性

 敬語は、実社会では非常に重要です。

およそ日本でビジネスをする場合に、相手が日本人であるときには

敬語を1つ誤るだけで、商談が破断になることなど当たり前のようにあります。

 またサービス業であれば、敬語をきちんと使えないと

別にそのつもりがなくても

「客を馬鹿にした」などと言われて大変な事になる場合もあります。

 だから実際問題としては

敬語を勉強しておくことは、実社会では、数学や英語の勉強をしておくことより

圧倒的に役に立ちます。

 考えても見てください。

あなたが大人だとして、小学校6年生の男の子が帰り際に

「今日はありがとうございました。おいしいごちそうをいただいて本当に楽しかったです」

と言って帰って行ったら、その男の子について好感を持ちませんか?

 敬語と言うものは、少なくとも日本において暮らしていく時には

社会生活を円滑に行っていくための強力なスキルであると言えるのです。

 敬語学習を敬遠させる理由

 私は、敬語の学習を敬遠したり

「敬語なんて必要がない」と言ったりする人が多いのには

別の理由があると思っています。

 それは指導側の問題です。

 多くの場合、敬語を教える際に

指導者は最初から、「目上を敬え」「こういう言葉は言えないと困るぞ」という感覚で

指導をすることが多いような気がします。

 実際私も学生時代、授業ではそういう風な教え方をされましたし

社会に出て敬語を一方的に教えてくる人は、皆一様にそういう感じがありました

簡単に言うと

「あなたのために教えてあげているのよ。知らないと困るわよ」というイメージです。

なぜ、そうなるかと言うと

やはり敬語が社会生活に即戦力となるものであるので

どうしても教える側としては、人生の先輩としてと言う気持ちが入ってしまうのかも知れません。

 敬語は奥が深い学問であり、完全な敬語を操ることができる人は少ないと言われています。

だからネットでも、「この敬語は間違っている」なんていう動画が結構人気があったりします。

 私の経験でも、大上段に構えて

「社会人なら敬語をしっかり話すようにしなさい」と指導をしているその人が

間違った敬語を結構使っていたなんていう笑い話もあります。

言葉は進化する

 またテレビや動画で敬語を教えようとする人も

礼儀作法の指導をする人と似ていて、説明が断定的なのも良くない気がします。

「これは間違いです」というような表現は、

インパクトがあって興味を喚起するのが狙いなのでしょうが

たとえば

「ビックマック2つでよろしかったでしょうか」という、

昨今流行の語尾を過去形にする言い回し(正しくは「よろしいですか」)について

「これは間違いです」と言っているのを聞いて、少し違和感を感じました。

それは

こういう言い回しは、サービス業などにおいて現在実際によく使われているのですが

使っている本人も、おそらく正しいとは思っていないと思います。

あたりがソフトになるために、接客では使いやすいので

こういう表現を使っているのです。

 言葉は時代とともに変化します。

古典的な色合いのある敬語も、使いやすい形に変化していくのは当然です。

敬語を教えようとする側(文科省も含めて)は

そのあたりをもう少し考えていかないと

敬語反対派や不要論者の支持は早晩得られなくなっていくでしょう。

敬語の種類を増やして喜んでいる場合ではないのではないかと思います。

今後も皆さんのお役にたつ情報をアップしていきます。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA