【選挙独裁制への移行】必ず「国民の安全を守る」というスローガンで独裁は始まる

世界で一番多い選挙独裁制

 イギリスのエコノミスト誌が、世界各国を対象に毎年発表している民主主義指数というものがあります。

各国の政治の民主主義のレベルを「選挙過程と多元性」「政府機能」「政治参加」「政治文化」「人権擁護」などの面から評価するもので

「完全な民主主義」「欠陥のある民主主義」「混合政治体制」「独裁政治体制」に各国を分けています。

 日本は2020年度の発表では「完全な民主主義」に分類されていますが、順位は低下傾向のようです。

そして独裁政治体制を取る国は、未だに大変多いようです。

 また民主度の段階を判定する有名なものとして、V-Demによる調査もあります。

V-Demは、350項目以上の指標を集めて比較をして民主主義を測定する研究所で、そのデータセットは世界銀行や政府間機関などでも広く活用されています。

V-Demの報告では統治形態を、自由民主主義、選挙民主主義、選挙独裁主義、完全な独裁主義に分けていますが、

心配なことに最近自由民主主義、選挙民主主義の人口は大きく減少しつつあるということです。

 そしてこの調査によると、現在でも世界で一番多い統治形態は選挙独裁主義であり、世界人口の43%がこの体制を取っているとされています。

選挙民主主義から選挙独裁主義への移行

 選挙独裁主義は、選挙は行われているものの実質的に独裁国家である状態で

選挙民主主義(日本のような選挙がある民主制)からも、この選挙独裁主義への移行は

簡単に行われてしまうことが知られています。

手順としては、おおよそ次のような段階があるようです。

1,選挙によって多数派を形成し政権を獲得する。
2,メディアを掌握して国民の自由を任意的に制限し始める。
3,社会に階層(利益を得る地位の者とそうでない立場の者の格差)を拡大し分断を行う。
4,仮想の敵を想定して民衆の支持を得る。
5,選挙自体をコントロールし始める(不正選挙など)

国民の監視や抗議がしっかり政治に届かないと

このようなステップで、知らず知らずのうちに独裁は始まるのです。

世界で一番民主的な憲法からヒトラーは生まれた

 皆さんはヒトラーの独裁が

 世界で一番民主的とされたワイマール憲法下で行われたことをご存知でしょうか。

ワイマール憲法は、初めて社会権を憲法に盛り込んだものとしても有名ですが

色んな面で人権を守るための規定が置かれ、民主的な手続きを盛り込んだ優れた憲法でした。

 そんな憲法下において、ヒトラーは国会議事堂放火事件などが起こった状況から

民衆の安全と国家防衛のために、次々と大統領令を出して

事実上独裁への移行を行い始め

気が付いたときには、全権委任法が成立してしまい

ヒトラーの独裁を止める方法がなくなってしまっていたのです。

 昨今どこかの都市では

法律の規定に基づくことなく

住民の人権を軽々と制限する要請が出されていますが、

大統領令という恣意的な政令で、人々の権利が奪われていったのにも似た状況がある気がしますがどうでしょうか。

 なお付言しておきますと

わが国では第二次大戦下でも

強制的な措置というよりも、むしろ周囲の目や周りの人々からの同調圧力によって

自主的な全体国家の政策への迎合が行われていったのではないかという意見もあります。

そういう国民性から考えると

仮に形式が「要請」の形をとっていても

実際には独裁的傾向が進んでしまっていることは、多々生ずるのではないかと思います。

人権は自動的に守られることはない

 長く平和な日本で暮らしてきた私たちは

人権が守られるのは当たり前だと誰もが感じていました。

しかし世界のスタンダードは

「人権は為政者により侵害される事がわりとある」

というものです。

 日本は、これまで政治が、経済ほど優秀ではないにしても

ある程度機能をしていた幸せな国だったのだと思います。

 ところが

理由ははっきりしないものの

明らかに近年、

政治が普通に機能しない状況になりつつあるように、誰もが感じ始めているのではないでしょうか。

 一番良いのは選挙によって、政治を変えていく事ですが

その選挙自体が、今やいろいろな利権や利益団体によって

中々浄化作用を果たさないことも多くなってきています。

 だとすると

現在の私たちが考えなくてはいけないことは

抽象的ではありますが、

「自分自身で自分を守っていく考え方を持つこと」

なのかも知れません。

 「政治が自分たちに害を及ぼすことはないだろう」

そう考えていても安心していられたのは

昭和の高度成長期から平成の初めまで位の、本当に限られた幸せな時代のみだったのかも知れません。

 歴史を振り返れば

たとえば、室町時代後期などは

衰退した幕府や役人たち既得権益者は

「人の血を吸うヒル」に例えられる位

自分たちの事ばかりを考えるようになってしまっていました。

 だからこそその後戦国時代となり

織田信長が社会に正義を打ち立てるまで、世は乱れに乱れました。

 このような例を見れば

為政者の側に立つ人間が

民衆の事を思って政治を行う、信長や秀吉家康のような人物である方が

奇跡なのかもしれません。

残念ながら、今の国政を見る限りそう感じざるを得ないところです。

 

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