法治国家と法の支配の違い
よく人は「日本は『法治国家』だから、みんなで決めた法律は守りましょう」
という事を言いますが
これは一面正しくも
ある面では正しくない内容を含んでいます。
「法治国家」というのは元々ドイツ法学系の言葉であり、「人治国家」の反対語で
国家における決定や判断は、すべて法によって行われるべきであるという考え方です。
言い換えると、人によって治められるのではなく、法律によって治められるべきというニュアンスの内容になります。
でも、この考え方を推し進めていくと
法律である以上それに従うべきという「悪法も法である」という論理に到達してしまいがちです。
しかし実は
これは英米法系の考え方である「法の支配」と明らかに反する考え方です。
我が国の違憲審査制を導入している法体系の根底にもある、この「法の支配」の観念は
法律よりも上位の法概念である「正義の法」の下に、
立法府の作った法律や行政府の行う行政も、規制を受けるという考え方であり
そこでは「悪法は法ではない」という考えこそが、論理的な考え方になります。
だからこそ、わが国では
憲法に違反した法律は「違憲」であり、場合によっては「無効」とされているのです。
政治家でもかなり多くの人が、この意味での「法治国家」という言葉を乱発していて
肝心の法律の内容の正当性や妥当性を軽視している場合があるのは、大変気になるところです。
そもそも人権侵害を明らかにしているような法律は違憲無効であって、
たとえ立法府の策定したものであっても
公権力によって一方的に不合理な適用が行われつつある状況では
一定の場合には「抵抗権の行使としてそれを順守する必要がない」というのが、
当たり前のことなのです。
ところが、最近の世情を見ていると
どう考えても不合理な人権侵害を、一政治家の独断で行っているような状況を目にするようになりました。
しかもその根拠が、法律ですらない場合もあるということが驚きです。
もしそれを行使する権限の源が、「選挙で選ばれた」というだけの理由にあるとすれば
正に悪い意味での「人民主権国家」になってしまいつつある気がして、心配でなりません。
民主主義は次善の策と言われる
政治家はとにかく「民主主義」を錦の御旗のように主張をすることが多いように思います。
確かに「民主主義」自体は重要なことではありますが
法学の基本中の基本として
「民主主義は次善の制度」であるということを、法学生は大学で学びます。
多数決で物事を決めていくことの裏には、
「何が真理かという事を決めるのは、非常に難しく
そのための最善の方法を人類は見つけることができそうにない」
「だから仕方なく『次善の策』として多数決で物事を決めていくのだ」
という考えが背景にあるのです。
もし多数決で物事が決まって法律ができても
それが真に正義に反するならば、それについては修正が必要であり
そういう考えでの修正を試みるの、正義の法による憲法の下の「立憲主義」という考え方です。
だから「選挙で選ばれている政治家が、代表者として決断をしていくのだから何をしてもいい」という理屈には、全くならないのが当然なのです。
こういう思考は、まさに「独裁」という思考になっているのですが
得てして為政者というのは、国家が危機状態にあると
そちらに気がいってしまうのか
このような思考で、独断専行を行い国民の人権を軽視した施策を行い始めるというのは
洋の東西を問わず、
過去から現在に至るまでの1つのパターンだと言えるようです。
選挙を待っていては遅すぎるのかも知れません
「私たちの代表が、みんなのためにやってくれている事だから」
ということで、皆政治家の行動を温かい目で見ようとするのが普通です。
だから普通政治家は、それに応えようとします。
そういう信頼関係で政治というものが行われていくのが、本来理想ではあります。
ところがそういう枠を軽々と超えて
考えられないような暴政や圧政を行う為政者には
そのような温かい信頼はかえって、悪い自信という火に油を注いでしまうだけということがあるようです。
だから場合によっては、選挙を待っていては遅い場合もあるのかも知れません。
たとえば選挙独裁主義への移行がなされる国家においては
ある時期を境に、独裁的な政治が徐々に開始され
国民たちが「次の選挙で反対をしよう」と心待ちにしていたら
次の選挙は、独裁者の統制する軍部の監視下で
銃を突きつけられての選挙であったとか
選挙の結果が不正により操作されて
二度と独裁者はその地位から退くことはなかった
というようなことは、よくある事だからです。
杞憂に終わればいいと思いますが、
政治について関心を持たないでいる間に、大きく世の中が動いてしまっているという事は現実にあることです。
だから、どのように政治が行われているかについて
私たち一人一人が日常的に関心を持っていくことが本当に今必要なのだと思います。