AIの進化のスピードが加速してくるとどうなるのか
最近、AIの話をよく耳にします。
もっぱらAIによってなくなってしまう仕事という形で話題になりますが、教育についてはどのような未来になるでしょうか。
まずすぐ予測できるのが、単純に覚える学習というものの形が変わってくるだろうということです。
WEBの発展により、検索をかければ一瞬で世界のあらゆるジャンルの情報を知ることができる現代で、単純な知識の量をたくさん保持しているということ自体の価値は下がってきています。
たとえば、歴史上の人物とその業績をたくさん知っているかどうかというテストは暗記力テストとしてはありかもしれませんが、
一般常識的なレベルは別として、今後そのこと自体は高い価値を認められなくなるはずです。
検索すれば1秒もかからずに一覧表で出てきてしまうのですから…。
しかし、人物とその業績の背景やいきさつなどを含めた歴史的事象を考察するという、「思考を試す」という部分でならテストは成立するでしょう。
今後は、知識的な題材をすべて提示した上で「あなたはどう考えるか」を問うような形に、試験も変わっていかざるをえないと思います。
これまでの試験の多くが、知識という情報をいかに多く保有しているかに焦点がありましたが、
情報が簡単に引き出せる世界になった今、情報量を競うのは意味がなく、情報の使い方を知っているかどうかが意味のあることに変わっていくと思われるからです。
大学受験でスマホで検索でカンニングすることを防止するため、スマホの持ち込みが禁止され始めたことが以前話題になりましたが、
これとは異なり、現在でもたとえば司法試験の論文試験などは、スマホで検索しても合格答案は書けません。
論理展開や法的思考力を問うもので暗記力テストではないからです。
もちろん答案例まで検索できてしまえばカンニングが可能ですが…。
今後は、すべてのテストがこういう形のものに次第に変わっていくことが予想されます。
語学が不要になるのは時間の問題?
機械による自動翻訳が可能になってからかなりの時間が経ちました。
最初は思わず笑ってしまうような面白い誤訳をたくさん見ましたが、
最近は結構精度が上がってきているように感じます。
さらにAIのディープラーニングによる翻訳が進化してくると、もっと自然な訳になってくるのも時間の問題のような気がします。
SF映画に出てくるような、ちょっとした装置でお互いが翻訳しあった言語で会話する未来は、かなり実現の可能性が高いように感じます。
言語というものはただの暗記事項に尽きるものではなく、いわゆるニュアンスの部分もあり判断が単純ではなく、現状で機械には越えられない壁があることは理解できます。
しかしパターンに限界のある事柄なので、いずれAIが解消してしまうようにも思います。
すでに音声翻訳機などが販売され始めて、いよいよ翻訳の世界に機械が本格的に進出してきた感もあります。
今後の行方が楽しみではあります。
機械には難しい「意味を実質的にとらえること」
ではこれらが完全なものに近づくと、語学は最終的には不要なものになるのでしょうか?
この点については、AIにはできない部分があるので翻訳を人間がするということ自体はなかなかなくならないという意見が主流のようです。
たとえば小説の一節について例に取ると、その文が実際に意味するものは何かという「意味を実質的にとらえること」が、機械の判断に適さないところがあるからです。
日本の小説の一節に出てくる「もう、あなたなんて大嫌い」という恋人の言葉を「I hate you (私はあなたが大変嫌いだ)」という英文に翻訳をしても、それは字面的には正しいですが、それだけの単純な表現では誤訳になる可能性もありますね。
この点は納得できるところです。
夏目漱石が「I love you」を「月がきれいですね」と訳したという話がありますが、人間でなければこんな訳はできません。
単純な語学学習は目的を失ってしまうけれども…
しかしそのような高度なものでなく単純な日常的な会話の場合、すべて自動翻訳できるようになってしまった世界では、語学を学習する必要が非常に少なくなってしまうことは確かです。
このような情報伝達という部分では、語学を学習する必要性がなくなる日は遠い未来に必ず来るでしょう。そのときは我が国の明治以来続いてきた英語を中心とする語学教育が大きく変わらざるを得ないこととなるでしょう。
ただ、学問の目的は1つではありません。
他国の文化や考え方を学ぶためであったり、英語圏での物事の考え方を知ったりすることの手段として英語を学ぶということは、また別のことして考えなければなりません。
英語にするのが難しい日本語「よろしくお願いします」とか「ごちそうさま」を考えればわかるように、文化の違いがある国の間では言語の違いがあり、それを学ぶことは相互理解に不可欠です。
そういう語学学習は未来も確実に存在することでしょう。
これまでも時代の流れに沿って、学習の形というものは変化し続けてきました。
明治以前であれば、別の稿でも書きましたが、語学で言えば辞書すらなくて「言葉の意味を確認する作業」がまず学習でした。
それが次第に語学学習のための手段が整い始めて、多くの人が単語や熟語を暗記して英語を読み書きすることが学習の主流になりました。
しかし我が国の英語教育は、日本がラテン語系の言葉ではなく世界に類を見ない日本語と言う独特の言葉を母語としている関係で、どうしても欧米諸国のようなスムーズなノウハウを定着させることができませんでした。
そのことから、中学高校大学と英語を勉強しても、外国人と初歩的な会話さえできないという事態があり、英語学習法の見直しが図られ続けてきました。
そして現在に至ります。
今後学習の形がAIによって大きく変わることは明らかです。
しかし、以上の話からもお分かりのように、私たちは科学技術の革新や国際的な交流が可能となった現代社会で、常に学習メソッドを進化させ続けてきています。
だから恐れることはないと思います。
ただ、人為的な作為によってAIの導入が偏った形で行われると、素晴らしい学習方法の合理化による、人々にメリットのある未来の到来が妨げれる可能性もあります。
多くの人に新たな形の競争が強いられたりするのでは、進化の意味がありません。
どうしたら誰もが自分の未来を学習によって切り拓くことのできる社会を実現できるのかは、AIが導入する時代にこそ検討されるべき課題だと思います。
願わくば科学技術の導入は「人間の幸福のため」にのみ進められて欲しいものです。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。