興味を引く問題
こんな問題があります。
「36627195 は3でわり切れますか」
中学受験以外では高校で少し出てくる程度の問題なので、あまりなじみがないかも知れません。
とりあえずわり算をしてみる人が、多数ではないでしょうか。
答えは「わり切れます」
でも計算では、時間がかかりますね。
ご存じの方もいると思いますが、簡単な方法があります。
3+6+6+2+7+1+9+5=39
39は3の倍数なのでわり切れると考えます。
3の倍数は、各位の数の和が必ず3の倍数になっているのです。
「わかる喜び」は、すべての人が感じることができるもの
知らなかった人、どうですか?
心の中に何かスッとした気分が生じませんか。
そうです。それが「わかる喜び」です。
何歳になっても、どんな仕事をしていても
人には不思議なことに「わかる喜び」があるようです。
もしこれを無視して、「勉強は覚えるだけ」というような学習をやったらどうなるでしょうか。
おそらく勉強はその時から奴隷の作業になってしまうでしょう。
「なぜかな?」 「わからないぞ」 「まてよ。これがこうだから」 「ええと」 「そうか、わかった」 「へーなるほど」
こういった思考の流れや会話があって、わかることの喜びが生じます。
そしてそういう段階を経た知識は、有機的なものであり印象に残るため、忘れられることも少なくなります。
「わかる喜び」をうまく持てない生徒は…
生徒の中には、「わかる喜び」をうまく持てない生徒がけっこういます。
勉強の意味を勘違いしている生徒たちで、
勉強は、与えられたことをPCのメモリーのように受動的にただ暗記・記憶していくこと
だと思い込んでいたりします。
上記のような面白い理論を聞いても、
どうしてそうなるのか不思議に思わず、すぐ何かに書いて暗記を始めようとします。
普通ならまず「なぜ?」「別の数の倍数はどうなる?」などの疑問が、必ず頭に浮かぶはずですね。
こういう生徒は、学習によって「学力を伸ばすための原動力」が弱っているように思われます。
まずノルマ的な学習をストップして、簡単なことでいいからじっくり考えて見るということをやっていく必要があります。
こういうタイプは暗記で何でも覚えてしまおうとしますが、
もちろん人間は機械ではないので、そんなやり方では限界があります。
やり方を急ぎ変えねばなりません。
わかる喜びを楽しむ生徒は…
反対に「わかる喜び」をよく知っている生徒は、こんな行動をします。
以下は実際にあった話です。
まず、なぜそうなるのか延々と質問攻めをしてきます。
しかしこの証明は、中学の式の計算の少し難しいレベルの証明なので、小学生の彼に説明してもなかなか納得しません。
そして次には、
「4の場合はどうしてそうならないのか?」
「5ならどうか?」
「9ならどうか?」
などと順に聞いてきます。すべての1桁の数について聞かれます。
説明をすると、驚きでもちろん目を丸くするだけでなく、声を上げることもあります。
もちろん彼は家に帰れば親に話し、学校では友達にこのことの話をするのでしょう。
彼は暗記はしません。
その代わりこれでもかというくらいたくさんの数の例を出してきて、本当かどうか電卓で調べようとしたりします。
暗記などをしなくても、自然と覚えてしまうはずです。
さらに、別の学習内容に移ろうとすると激しく拒みます。
「まずこれを理解したい」と言って「他の事はできない」と言います。
まさに好奇心の塊です。
そして「わかる喜び」をよく知っていて、楽しんで学習をしています。
当然の結果ですが、彼は極めて優秀な成績をその後収めるようになりました。
過去に私の知っている中では、最も優秀な生徒でした。
勉強ができるようになるカギはここにある
このように、同じ題材を目の前にしても、生徒によって全く対応が異なります。
これを見ると、勉強ができるようになるかならないかは、
学習内容の問題や記憶力の問題ではなく、「新しいことに対して対応する姿勢」だということがわかります。
親も教師も、子どもに何もかもすべて教えることは不可能です。
いずれは自分自身で情報を探して学んでいくということが学習の中心になっていかなくてはなりません。
そのためにできることは何かを考えたときに、
親も教師も、生徒に「わかる喜び」を伝えるということこそ、
すぐにでもできる一番大切なことではないかと思います。
それを子どもが真に知ることができれば、
「魚を釣る方法を知れば、魚をもらわなくても生きていける」のと同じように、
子どもはどこまでも、自ら進んでいくことができるようになるのではないでしょうか。
ちなみに青雲学院のモットーは、「わかる喜びをすべての人に」です。
今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。