【英語のことわざ】「ケ・セラ・セラ」と Whatever will be, will be.

「ケ・セラ・セラ」

 ドリス・デイの有名な曲「ケ・セラ・セラ」は、ヒッチコック監督の「知りすぎた男」という映画の中で歌われた曲で、

世界中で流れ、誰もが一度は聞いたことがある曲だと思います。

私も何度も聞いて、そのメロディや 「ケ・セラ・セラ」 という言葉については、繰り返し耳にしていました。

 しかしこの言葉の意味について知ったのは、実はずっと後でした。

「ケ・セラ・セラ」 は「なるようになるさ」という意味の言葉です。

 由来について調べてみたら、元々はイタリア語の言葉をスペイン語風につづりをいじった造語っぽいです。

 それにしても、なかなかいい言葉ですね。

これはもちろん、厭世的に「どうでもいいや」という意味ではありません。

歌詞の流れからすると、

「くよくよ先のことを考えても仕方がない。なるようになるさ」という

前向きの「なるようになるさ」です。

 しかもメロディーが抜群にいいので、その意味を知ってから、私はこの曲が大変好きになりました。

Whatever will be, will be.

 でもこの言葉が、英語ではない外国語だったので、

「私は、じゃあ英語と何て言うのだろう」

そう思って、調べてみたら出てきたのがこのことわざです。

Whatever will be, will be.

「なるようになるさ」

 何となく格好いい言い回しですね。

直訳すると、「(未来に)あることは何でも、(未来に)あることになる」

あるいは「(未来に)なりうることは何でも、(未来に)なりうる」

というような意味ですが、

ざっと意訳すると「なるようになるさ」ということになります。

 この英文は、ほぼ同じ意味の「What will be, will be.」などとともに

高校の文法学習の関係代名詞、複合関係代名詞の題材として登場することがある英文です。

 こういう短い英文のことわざが、響きも良く何となく素敵に聞こえてしまうのは、私に英語文化へのコンプレックスがあるのかなとも思ってしまったりしますが

それにしても、短い中に「真実を持つ響き」のあることわざだと思います。

未来は何もまだ始まっていない

 私たちは、未来に対して様々な夢を抱くとともに

色々な不安も持ちます。

 そして最近では特にマスメディアが、人々を不安にするための機関に実質成り下がってしまっている感もあるため

テレビなどを長く見る人ほど、消極的な情報を脳裏に印象付けられてしまったりしています。

 しかし、ここで皆さんに気づいてほしいことは

いつでも、どんな時でも

「未来はまだ少しも始まっていない」という真実です。

つまり、「いつでも未来は変えられる」ということです。

不安材料を探していけばきりがなく、自分などは何も変えられないと思うかもしれませんが

よく考えてみれば、それはどの人にも平等に同じ事なのです。

 今どんなに重要なポジションについている人でも、その人の一存で世界は動きません。

反対に、たった一人のムーブメントから世界が変わったというような話は、たとえば坂本龍馬をはじめとして実に多くの例があります。

 もちろん大きな力の背景があり、最終的にそういう業績になったわけですが

最初の一歩は、「たった一人の考え」から始まって未来が動いた事には変わりがありません。

だから「未来はまだ何も始まっていない」のです。

 未来は変えられます。

このことわざを読むたびに、私はそんなことを考えます。

皆さんが、この素敵なことわざを読み前向きになって、

これから素晴らしい未来を創ってくれたらうれしいです。

 今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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