【歎異抄】「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」の本当の意味とは?

歎異抄

 『歎異抄』は非常に多くの人に読まれている仏教書ですが、これは浄土真宗の祖・親鸞(しんらん)の弟子の唯円によって鎌倉時代に書かれた本だとされています。

当然ながら親鸞の物事の考え方や宗教観が書かれているもので、その思想は現代の私たちに対しても色々な意味で意義のある教えを示すものとなっています。

中でも「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という非常に有名な言葉については、おそらく多くの方が一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

 その意味は「善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる」というものです。

この考え方は浄土真宗の教義における重要な部分で「悪人正機」と言われるものです。

それって逆では?

 「おいおい待ってくれよ、それって逆ではないのか?」

そんな事を思う人がほとんどではないでしょうか。

実際親鸞や唯円もそういう風に当時の人が思うのを予想して、逆説的にこの言葉を使ったのではないかと、私は思っています。

 普通に考えれば、「善人こそ救われやすいので往生を遂げやすく、悪人はそういうわけにはいかない」そう考えるでしょう。

しかしこの言葉では逆になっています。

簡単に言えば「善人よりも悪人の方が当然救われる」と言っているのです。

善人と悪人

 もちろんこう言われるには、ちゃんと秘密があります。

ここで言われる善人と悪人の定義が、私たちの言うそれとは異なっているのです。

私たちの言う善人と悪人は、普通に良い人と悪い人という意味ですが

歎異抄(親鸞の教え)に言うところでは

善人とは、自分自身の力で何事も解決しようとしている人で仏の力にすがろうとしない(「自力作善」と言います)で生きている人

悪人とは、煩悩に苦しみ穢悪汚染(えあくおせん)されていて、何かにすがらないと生きていけないような人

「穢悪汚染」とは、親鸞が書いた『教行信証』と言う書物に出てくる言葉で、色々な世の中の枠に染まってしまっていることを言います。

「一切の人間は穢悪汚染にして清浄の心はなく、そらごとばかりで真実の心はない」と親鸞は述べています。

だとすると、悪人と言うのは世の中のほとんどの人すべてという事になります。

誰でも煩悩を持たず自分自身を頼みとして生きているというようなことは実際にはないからです。

むしろここでは「自力作善」な善人をどちらかというと悪く見ていることがむしろ気になります。

 親鸞がおそらく一番伝えたかったのは煩悩に苦しむ悪人が自分の弱さを自覚して何かにすがる「他力本願」の重要性ということだと思いますが、「自力作善」の善人ではなかなかその真意がつかめないと考えたのではないかと思います。

なぜ他力本願が大切と言っているのか?

 私も過去に色々な解説書を読みましたが、この「他力本願」というもの

実際はなかなかピンとこない考え方だと思います。

それは今普通に皆さんが使っている「他力本願」が「他人任せ」の意味になっていてマイナスなイメージの言葉だから、その趣旨をつかむことができないのが原因です。

親鸞や仏教の教えの中で使われる「他力本願」はそれとはだいぶ違った意味で使われています。

 浄土真宗では「他力は如来の本願力」という言い方をするようですが、要するに宗教的には「阿弥陀仏の力でそういう煩悩を持つ人を救ってあげるというのが本願(一番の願い)」ということなのでしょう。

そういう考え方から来ているのが「他力本願」の本来の意味です。

本当に上手く行く方法

 ここからは私の個人的な考えになります。

ここで少し世界観の話になりますが、先日マドモアゼル愛氏の動画を見ていて大変興味深い話を聞きました。

それは「人は悩んでいる時には必ず自分の事を考えている」というお話でした。

大変示唆に富んだ言葉で、私は目からうろこが落ちるような気がしました。

いつもながら素晴らしい言葉を語られる方です。

 *ご興味のある方はyoutubeで検索してみてください。有名な占星術師の方です。

親鸞の「他力本願」というのはどうもこのことと関連があるような気がしました。

 確かに、自分自身で何かを成し遂げられて自信満々なのもいいのかも知れません。でもそれは「世界を知らない」だけに過ぎません。

人間にはあらゆる煩悩があります。そしてやる気を持って生きれば生きるほどそういう煩悩に悩まされてしまうというのが人間でもあります。

つまり人は誰もが「悩んでいつも自分の事を考えている」ということになります。

では一体いつ人は自分の事を忘れられるでしょうか。忘我の境地に至ることは本当に可能でしょうか?

 難しそうに見えますが「自分の事を忘れて、自分以外の人や物事を考えるようにする」という事がその答えになります。

「それができれば苦労はない」そう考える人も多い事でしょう。

ところがこう言われたらどうでしょうか?

「困ったら仏さまが助けてくれるから、やるだけやってあとはお任せでいいんだよ」

そう言われたら、くよくよと自分の事ばかり考えずに済むという状態になることも多いのではないでしょうか。

つまりそれが「他力本願」の教えだという事だと思うのです。

人々にそういう事を考えてもらう事で、自分の中でぐるぐると悩んでいる事から人々を開放しようとした、それが親鸞の一番の功績なのではないかと思います。

 そして、これはおそらく本当だと私は思っていますが

自分の事ばかり考えている時と、他人の事も自分の事と同じかちょっと少ない位程度には考えている時とでは、断然後者の方が物事が上手く行き、幸せを感じられる頻度が高くなります。

だから他力本願の気持ちで自分の事は天に任せて、その分自分の周りの人の事やら世の中の事やらに関心を持っている方が何事も上手くいくのではないでしょうか。

まあ、そういうのを今風に言うと「引き寄せ」っていうんですけどね。

ぜひ参考にしてみてください。

今後も皆さんのお役に立つ情報をアップしていきます。

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